感応しない症候群 〜 Empty Virus 〜

kohya_hibiki2012-07-11



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長年、戦後世代の精神疾患の研究を重ねてきておりますが、その中で最終的に到達したのが、戦後間もない頃に生まれた方々には人間として本来持っておくべき【愛や思いやり、優しさ】、そして【民族として意識】などの世界では当たり前と思われる形而上的な概念を認識する脳の部位が成長することが阻害された要因があるという現実でした。

言わば、感応・反応・反射する精神的部位が何らかの精神的疾患によって反応しなくなっているということでした。

そこを何度、私が論じてもわかるはずがありません。

例えば、美しい花を指差して”感動しろよ”と強制したところでその強要は実現するはずもありません。


40代50代60代の地位・名誉欲に捉われた(特に)男性は、上記のような理由から自らが感応しないことを正当化し、人間としてあるべき弱いものを守るという衝動が自らの内にないことを隠し、あたかも善を振舞うことがとても得意です。

このような人々は、内側に哲学を持っていないですから、自らの偽りを増大させ権力やメディアに取り入ることが非常に得意です。メディアに取り入るということは、メディアを利用したビジネス等を展開して売名を行ったということでもあり、結果的に恒常的にメディア支配を受けて逆に国民を洗脳していく体制側につかざるを得なくなるのです。

この構造を正しく理解することが何よりも大切です。

我が国の問題は、誰かや何かではなく国の末端にまではびこるシステムや思考回路なのです。

東京電力がどこまでもいつまでも自らの正当性を述べているように、権力側体制側についている人々はどこまでも言い訳をし続けます。

それができるのは、【普段日頃からそういうことをしていた】ということに私たちは目を向けなければなりません。

つまり、彼ら彼女らが普段日頃からしゃべっているもしくは書き連ねている何かは、人間として道義的に倫理的に正しいことなどではなく、自分を守るための論法でしかないということです。


この意味と本質性を理解できる方は、ヒーラーとしての素質があります。



もうひとつ簡単に、本物と偽者を見分ける方法は、何を守ろうとしているのかを知ることです。

自分の地位と名誉を守ろうとしているのであれば、間違いなく偽りです。

聖徳太子は愛を守ろうとし、特別攻撃隊は国と子供たちを守ろうとしました。我が国の歴史とはそのような祈りと愛の歴史です。

それが戦後、全く違った民族のように自分だけを守ろうとする人たちが増殖しました。

それを私は【エンプティ・バイラス】と呼んでいます。

感応・反応・反射しないがゆえに自分の国の歴史や自然にあまり興味がわかないようです。

原発で自然が破壊されても、<しょうがない・お金のためだ・電気は必要だ>という正当化で自分の懐に補助金を入れる人が非常に多いです。ただ、中には子や孫の代が困るからと戦っている人たちもいます。こういう人たちは本当の日本人です。しかしその本当の日本人の割合が少ないためわが国はこのような有様になっています。


この問題は既に三島由紀夫も指摘しており、白州次郎なども問題点を明らかにしています。


当事者の方たちは、自分の中の何かが感応しないので、感応する人たちを分析し、怖れ、排除しようとしますが、結局は若い世代は当然のごとく日本人らしい感応さを取り戻しておりますので、自分たちの異常さを粛々と思い知ることと思います。


感応するか・しないかということはいくら議論しても無駄であり、エネルギー回路があるかないかの問題なので、それはどうすることもできません。

感応さを持たない40代50代60代のスピに憧れる男たちが、スピを批判したところでそれは単なる断末魔に過ぎません。

それ自体が既に戦後世代の特徴であり、若いものたちのために自分を犠牲にできていないのです。我々の先祖は常に若いものたちのために自らが犠牲になり、力をつけさせ、地域の活性化のために尽力しました。それが”祭り”の本質でもあります。

そのような”祭り”を行わずに40歳にも50歳にもなって、必死になって自分の地位と名誉を誇り、守り、宣伝しようとしている。


ただ、ただ、恥ずかしい日本人だと思います。


何回でも言います。


ただ、ただ、恥ずかしい日本人です。


命を懸けて子供たちのために戦った戦前の日本人の爪の垢でも拾ってきたらどうなのでしょうか?

神社に行くと、日露戦争碑など、、たくさんの戦争碑があります。そういう先祖のことを何も語らずに自分の地位を確保するために参拝方法やうるさい小言を日夜語り続けている神社作法発信装置には辟易します。本質と作法が逆転しているのです。


それはまるでお茶の味を知らず、作法ばかりにうるさいマニュアルおばさんと同じです。


日本男児であれば、地位・名誉を獲得したら潔く、子供たちに大道を譲る。

そして、国の発展を蔭から願い・祈る。

それだけで良いのではないでしょうか。


いずれにしてもけつの穴の小さい男たちが、たむろってうだうだとしているのがレベルの低い精神世界の現状です。そんな集団が国を変革できたり、世界が納得する情報を発信したりできるわけがないでしょう。


やっていることが小さいですし、言っていることがモテナイ男のつぶやきのようです。


何度も言いますが、スピはモテナイ男たちの敗者復活戦の場でもないですし、資本主義社会でオカルト視されていた霊能者、サラリーマンで成功できなかった人たちが免罪符を手に入れて好き勝手なことを言ったり、やったりする場所ではないのです。



もう少しレベルとスピードを上げて、戦前のご先祖さま方々のように崇高な目的をもって世界の問題と向き合い、愛によってそれぞれを支えあえる普通の民族に戻りましょう。




捨てよう 言い訳のエンプティ・バイラス


取り戻そう 本当のヤマト・カイラス

病原体ジャッジメント 〜 地位名誉権力に巣食うホワイト霊団編 〜

kohya_hibiki2012-07-10



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権力に巣食うホワイト霊団の特徴は、自らが尊い社会的目標のために日々過ごしているのではなく、自分の地位名誉を守るための言い訳を一日中考え、その情報を絶え間なく発信しているかどうかによって判断することができます。

普通に考えれば、一般的な人たちは一日の間にたくさんの人々に出会い、色々な価値観を知り、社会的な常識を重ね、自分の行動や活動がどのように社会のために役立っているのかを考えます。

しかし、Web社会が発達してきますと、一日中家に篭ってブログを書き続けてWebで自らの存在的価値を獲得しようという人たちも出てきます。

そういう人たちは、常に自分が否定されているのではないか、自分のことを指しているのではないか、と半ばある種の精神病的な段階へと進んでしまいます。

一日中、お家でブログを書いて、社会的な活動ができていない人は、ほとんどの場合、このホワイト霊団という権力志向霊団に憑依されている可能性が高いです。さらに精神世界系ではその確率は一段と高まります。



この霊団に憑依されやすい人の特徴は


①コミュニケーション能力が欠如しているがゆえにWebで成功しようとする敗者復活的な過去を持っている。

②何を目指すのか、どこを目標としているのかを全く語らずに、何か誰かに反射し、人のことばかりあーだこーだと言っている。

③憑依されていることを見破られた過去がたくさんあるので、自分を神と呼ばせたり、他を魔と呼んだりする【レッテル貼り】に長けている。

④自分の地位を確保し続けたいという慟哭にも似たエネルギーが常時、垂れ流されているにも関わらず、それに気付いていないのは本人だけだという哀しい現実が透けて見える。

⑤何をそんなに必死になっているのか?と思うほど本質的でないことを日夜しゃべり続けている。

⑥感染力が非常に高いため、同じようなエネルギーを持った人たちが周りに巣食っている。



この霊団に憑依されますととにかく疲れます。

疲れがひどい方は一度、私のセッションをご受講されることをお勧めします。

とにかく自分の中で【私をもっと認めろ!】的なエネルギーが立ち上がってきている方は要注意です。自分を<オトス>ことができる方は大丈夫です。これが最も簡易的なリトマス試験紙です。精神世界系スピ系通じて、オチを書かない・書けない人は非常に危険です。オチと本質性は夫婦のように常にセットで存在します。

シャーマニズムエッセンスが強い方は、満月時のセルフヒーリングで憑依を外すことができますが、エッセンスをお持ちでない方はずっと憑依され続けます。特にそのような状態で神社やお寺に伺うのは危険な行為です。

しっかりとしたエネルギー認識を持った人間と行かなければ、神社やお寺は逆に<落とし穴や蟻地獄>のようなものです。余計なものを連れ帰ってきて、なぜかわからないけどやる気がおきない、怒りが収まらないなどの私生活に支障をきたすものまであります。


ネットは単なる道具であり、一日中はまってはいけないものです。ネットではよくしゃべるけどリアルでは無口なんだね、あれ?!なんていう人は最近非常に多いです。リアルとWebのバランスがとれた普通の社会人になりましょう。


蟻地獄にはまるもはまらないのも当人の自由ですが、たまに真実を書いておいてあげませんと【何が真実なのか、わからない】という精神世界渡り鳥の方が私のところにもたくさん来ますので、精神世界や後期スピリチュアル、よろしくないブログにはまり過ぎてどこかに支障をきたしてしまった方は、ぜひぜひ一度ご相談くださいね。


病原体ジャッジメント、かなり的確にさせて頂いておりますので、いつでもお気軽にお越しくださいませ。


健全な心は、健全な思考から始まります。レッツヘルシーシンキング!

希望する人間関係を築くセッション

kohya_hibiki2012-07-08



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自分の内側の真実を如何なる場面においても語ることができないのは喉のチャクラにブロックがあります。

10年前ですが分かりやすく説明したブレスなどあります。

スピリチュアルが好きだけど周りに話しをできる人がいないという方はたくさんいます。

この現象が意味している現実は、“自分はスピが大好きであなたにもそれを伝えたい”という衝動の自己否定です。

もしくは、自己の真実に対する罪悪感です。

この内側の現実が外側の現象を生み出しているに過ぎず、降り掛かる望まない現実の多くは自らの心の有り様によって左右されているのです。

“私は○○が好きです”そしてそれを皆に伝えたいという段階に至るには、自分の真実を信じる『Faith』が必要です。

これは10年前から講座しているように第三チャクラの範疇です。

この『Faith(信)』に関することは一度、スクールの学年を通してのテーマともしましたが、やはり総体的に言って現代日本人が弱い部分です。


それが形而上学の衰退と密接に関わっており、その『Faith』の再生が社会的に非常に重要な課題になっているということは、スピリチュアルを生み出した背景や巡礼ワークをやる意義についての説明でも何度も行ってきたことでもあります。

東京で意外とこの『Faith』が理解されやすいのは、故郷を捨てて、自分を信(Faith)じて上京する人が多いからでありますが、本来は自分の信じた道を歩むというのは成人の前に獲得しているべき価値観でもあります。


論理的に申し上げて、それが出来ていないことが恥ずかしいことなのではなく、ひょとしてそういうこともあるかもしれないという創造性が欠如していれば恥ずかしいことなのだと思います。その創造性の欠如が、福島原発事故のことを<遠く離れた土地での出来事>と誤解釈し<だから私には関係ない>と自己正当化する根源的原因になっているのだと感じます。


それはTVにでてくる政治家と同じであり、英国紙が揶揄した責任の所在を明らかにしない日本人の国民病でもあります。

【ロンドン=内藤泰朗】東京電力福島第1原発事故の国会事故調査委員会が5日に最終報告書を提出したことについて、英各紙は日本文化に根ざした習慣や規則、権威に従順な日本人の国民性が事故を拡大させたとする点を強調し、「日本的な大惨事」に苦言を呈する報道が目立った。ガーディアン紙は「フクシマの惨事の中心にあった日本文化の特徴」と題した記事で報告書の前文を引用し、島国の慣習や権威に責任を問わない姿勢が事故原因の一端にあるとする報告書の内容を伝えた。6日にも「文化の名の下に隠れるフクシマ・リポート」と題した記事で、「重大な報告書と文化を混同することは混乱したメッセージを世界に与える」と批判した。一方、「非常に日本的な大惨事」との見出しで報じたタイムズ紙(6日付)も「過ちは日本が国全体で起こしたものではなく、個人が責任を負い、彼らの不作為が罰せられるべきものだ。集団で責任を負う文化では問題を乗り越えることはできない」とコメントした。
yahooニュース【産経新聞】

すべてはつながっていますので、わからないことがあればわからないと表現し、わかったらすぐに行動する。その行動がひとりよがりな仲良しクラブなものでないか精査する。

そういうことを国民ひとりひとりが自分のこととして実行した時に日本全体、自らを取り巻く目の前の全体は変わります。

変われない人たちの食物連鎖ができると“現状肯定”、“地位確保のための自己正当化(保身・利権)”の傾向が強くなります。霊能者やスピに憧れる精神世界出版人に多い傾向です。現代日本人の末端まで浸透した病です。

論理的に指摘すると必死になって抵抗してくる、その裏に<現状肯定と自己保身>がある場合は要注意です。しっかりとジャッジメント(切り分け)を行い、病原体を除去する作業が必要です。


エネルギー感覚が鋭い方々は、どこからエネルギーが発せられているのかを即座に読み取ることができますので、今まで通りご自分のエネルギー感覚に基づきお進み頂ければと思います。


まだまだ現状、当事者意識は低いのでこれを読まれた方はぜひこのセッションを受けられて、個人の真実の表現の解放がより良い社会の解放になるという真実に到達して頂ければとも思います。

社会の雰囲気を生み出しているのは、私たちひとりひとりの意識です。

会社で言えることができなければその会社を言える場に自分がしていけばよいだけのことです。

それをやろうとしないこと、それをできる立場にないと“怖れ”を自己正当化すること、そのような負の連鎖からFly Away


“できない理由”を探すのは、多くの人の得意業です。逆に“乗り越えられる力”を探すのは限りなく少ない人たちです。

自分がどちら側の人間かは、この文章を読んで今日から何かをやり始めたかで判定することができます。


“誰かがやってくれるだろう”という人任せな無責任主義が巨大になると弱い者を犠牲にするシステムが出来てしまいます。当人たちに罪の意識はほとんどありません。

自分たちの社会をFaithし、今日から行動する行動意欲。

自らが望む人間関係を構築するのもそれを達成するためのひとつの入り口だと思います。




マクロジカルトランジット

kohya_hibiki2012-07-03



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七夕を前にブルーレンジがひどい。

人を未来を疑う心、風に任せれば際限なく。

怖れ、不安、悲しみ、依存、様々なものが湧いてくる。しかしその中から“金の斧”が浮かびあがる。

逆に言えば、その中からしか“金の斧”は掴めない。

あらゆるものを信頼するというのは言わば“与える行為”。


信頼の置けない相手にも信頼を敢えておくというのは哲学的格闘の中にあると言ってもいい。

心平静に落ち着け、和敬静寂というのは何に対しても安心感を与える。

これ、彦星パターン、玉手箱を開けると塩土爺。


一方の織姫のブルーレンジ、ひどい揺らぎとその中に眠る“金の斧”

満月近いか、、月明かりがやけに強い。

未来からの哀しみ、際限なく降りてきたとしても個人の壁を外せば、それはすなわち愛へと変わる。


分かち合うことは幼い頃に教わった愛への近道の作法。

人間の心は全て同じ反応を示すが、それと同時に皆と同じでは嫌という反作用も伴う。それが男と女という不可思議な筐体。

自立し与え合えば離れ、依存し奪い合っても離れる、バイシバーサ逆もまた真なり。


その間を飛ぶのは天の川の白鳥座。白鳥になったのはヤマトタケルとゼウス、私にとってはロゴス。

善も智も美も礼も超える愛しき繋ぎの代名詞


皆、愛されたいと願い
深く理解し合いたいと祈っている。


毎年すれ違う心と心、ひとつになるのは今、現実の社会に生きる人々の切実な想い。

小野地名アツく、ブルーレンジ広い。


7+7で14(トヨ)か、、、

13(トミ)の境界線、東は三上山、西は甲山


トミはツクヨミにつながり、トヨはトコヨの響きにつながる。

広大な心象風景、分析し、日本神話として記した先人は哲人。

人も未来も疑えばキリがない、信ずれば晴れる。ロゴス、人に言うと書いて“信”


深見、深緑、二見、めのとメッセージ濃い。

そういえば4、5日前に鮫の夢の記事を書くつもりでしたが、サメはフカではなかったか。

孵化するのか、負荷がかかるのか、今の自分にとっては両方当たっている。


そもそも“深い”とはなんなのか。

二見の海底に沈んでいる神石が起源ではないのか。

不可思議は、鮫(ふか)の磯城(しき)という意味か。


崇神天皇の出現率も高い。wikipedia:磯城瑞籬宮

しかし、今日の月はすごい。八条スターのような筋が出ている。


文章を書いていると波に乗って笑えてしまったり、可笑しくなったりする。今日は73(イザナミ)の日。7月4日は波が74(ナシ)=イザナギの日か。

3日から4日にかけて記事を書いたから融合されたのか。アワシマとヒルコは生まれたか。




確かな地盤

kohya_hibiki2012-07-02



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HMTの目的は、楽しく巡礼をしながら、それが結果的に社会の役に立っているというラインです。

誰かひとりの宗教意識やお役目によって流れが決まるわけではなく、社会で今、何が必要とされているのかの必要性によって方向性が決まります。


結果的に社会の役にたつためには、当たり前のことですが、継続的に発展していけるための経済的地盤を確立しなければなりません。

ただ巡礼をするだけで、経済的価値の発生しないものは単なる趣味レベルのものであり、やってもやらなくても誰にも影響を与えない“スピリチュアルごっこ”レベルのものです。

電力各社は50名〜100名ほどの広報部を抱えており、朝から晩まで「原発が正しい」ということを広報しています。そのような社会状況の中で巡礼者が100人、神社の情報を発信したところで1名の電力会社社員の広報にさえ勝てないのです。本気ならばこの現実を直視してください。この現実を直視できずに祈りだけしている人はすべて”祈りごっこ”をやっているだけです。


祈りは大切なものですが、それだけでは社会に影響を与えていくことは出来ません。神社の社殿が常に新しく保たれるためには、経済的価値の視点がなければ困難をきわめます。


仏教が入ってきた後は、仏像に金箔をはり、その神々がいかに崇高であるのかを権力主義者たちは示そうとしました。

神道においては偶像崇拝がないので式年遷宮というかたちで神威(みいつ)を示してきました。


祈りを形にかえるためには、現実的行動と経済的価値が必要であり、それが行き過ぎると権力主義者に乗っ取られてしまう、これが人間社会で繰り返される負の連鎖です。そういう意味において古代から連綿と続く日本神道の力は強いです。それがあるからこそ現存する世界最古最長の王朝が日本で生まれ継承されてきているのです。


真のアクエリアスの時代においては、一般市民が公(おほやけ)の仕事とされていたものを自らの高い意識の中で自発的に担っていく社会起業的行動が欠かせません。しかもそれを健全な経済循環の中で達成し続けるという高い哲学性と能力が求められるのです。純粋無垢な純白なスターゲイトと現実的に損益分岐点をはじき出し健全経済を保っていく【信仰と経済合理性】というこれまで相反するものとされてきた2つのエネルギーをひとつの脳で達成しうるもの、それがスターチャイルドであり、日本人が目指すべき方向性でもあります。


原発の問題とはすなわちヒト・モノ・カネを一極集中させてきた中央集権思想の問題でもあり、その思想に基づき電力供給が一社に独占されている問題でもあります。この時代的本質的テーゼに気付かずに電力会社だけを攻撃するのは、むしろ原発推進者ではないかとさえ思います。


このように中央集権思想を対象化できるのは橋下市長、河村たかし氏など国内に10名にも満たない程しか存在しないので、中央集権思想がなくなることによってその先に何があるのかを想定すらできないのは当然のことであります。


全国的に未だそのような段階でありますから、皆の想いを形に変えて、できるだけ長く太く元気に社会的意義の高い活動を潜在的集合意識に基づいて実現可能せしめるというのが“確かな地盤”となります。


このような20年にも及ぶ思想的活動と10年に及ぶ現実的行動を表面的に模倣し、擬似活動をしている人もいるので、とても困っています。

思想的に中央集権思想から解脱し、分権社会起業的思想に突入している人なら模倣もある程度は許容しますが、それを達成しないままでの模倣は官邸主導のマスコミ操作となんら変わりのない“センゴ”構造であるので、是非ご遠慮頂きたいと思います。


我々がすべきことは、地べたをなめ回すぐらいの努力と気概によってしか成し遂げることができない困難を極める時代変革です。


家でゆっくり“スピリチュアルごっこ”で明治維新直後から始まっている賄賂政治を覆すことなどできるはずもありません。

まず何をすべきかというよりも前提となっている現実を正しく理解している人が少な過ぎます。


社会起業に関してもアメリカでよく言及されているから興味を持っているレベルの人たちばかりで思想的になぜ今、日本にそれが必要なのかを答えられる人はいません。


そもそもMBAをファッションか何かだと思っている人が多く、企業経営の至上命題が売上原理主義に陥っている経営者も少なくありません。


このことも原発と密接に関わっており、至上命題が自分以外の誰かではなく“自分(会社)を救うことが社会のためになる”というこじつけにも似た自己正当化になっています。


そういう人たちは、”自分の食べるものさえ制限し、自分よりも貧しいものたちに分け与えていた”という戦前以前の美しい日本人の在り方を思考的にも感覚的にも知らない方なのだと思います。


私はそういう人間が“私は日本人です”と言っている時、強い違和感をおぼえます。自分たちの先祖の歴史を知らないとはなんと恐ろしいことでしょうか。


例えば、大飯原発の再稼働に関しても“生産がストップしてしまえば会社が潰れる→日本経済が縮小する→原発再稼働は大義”とする産業界と“原発が再稼働すれば事故が繰り返される可能性がある”とする市民側との押し合いへしあいが続いており、企業献金があるがゆえに政治家は政治的に産業界に傾かざるを得ないという政治力学は非常に冷徹に市場原理に基づいて推移しています。

そのような中から思想的に成熟した人たちが次々と出てくれば社会は変わりますが、反対だけして自分たちはなんの責任も自立した行動も持たない段階では、病的ですが自立した行動をしている産業界を凌駕していくことは出来ません。

何度も言うようですが、原発の問題は、上記のような論理性を即座に理解することができない日本国民全体の非哲学性にあり、丸1日この視点で生活してみるとあらゆるところにその萌芽を確認することができるのです。

私も脱原発運動を最初の頃は支援していましたが、彼ら彼女らの精神構造が後期スピリチュアルに似てきているところがひっかかっています。純粋に頑張っているママさんや若者は応援してあげなければいけません。


そもそも日本のスピリチュアルは911後にポスト資本主義を目指す人たちが東京に集まってスタートしましたが、2、3年後にその底堅い思想を逆手に取ってマスコミと社会変革思想を持たない敗者復活戦の人たちが大挙として参入し、初期の頃の高い社会的意義はむちゃくちゃに破壊されましたが、脱原発運動もそれに似てきています。

冷静な社会変革が目的ではなく、認められなかった自分の鬱憤を晴らす後期スピリチュアルのような場になってはいけないと思います。

それはまるで初期高野聖が高い理想で社会に求められたことに反し、後期高野聖が目的を失った犯罪者の温床になったことと似ています。

高田馬場西荻窪ポエトリーリーディングをやっていましたが、徐々に詩の質も低下し、烏合の衆になったこととも似ています。

結局のところ、底堅い思想で作られた文化に集まってくる二番煎じの人たちのところに集まっても何もならないのです。しかし、日本人はその何もならないことをやってしまう傾向が非常に強いです。

それは本質を見ずに形を見るからです。この“膜”を取り払うことだけが日本の未来を確かなものにします。

それが私にとっての祈りと行動です。




脱原発も後期スピリチュアルも原発推進派もポエトリーリーディングも大まかに言って全部、構造が同じです。

自分たちの想いを晴らすことが主目的になっています。そこに日本的なものがあるとは言い難いです。



問題の根源はひとつです。魂が開いた人の元に力が集まり、社会が開かれていくためには、ひとりひとりの魂が開き、正しい選択が為されなければならないのです。



変化は待つものではなく自らが起していくもの 〜 風エレメント今、ここ 〜

kohya_hibiki2012-06-27



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表題の通りですが、日本人が一番苦手なこと、変化の渦の張本人になること。

変化の渦になるということは、自らのうちに強烈な個性を持っていなければなりません。

その強烈な個性とは、日々自分の内側を見つめ苦悶し苦闘しなければ決して見えてきません。

ありのままの自分を受け止めてくれる場所を探し続けるだけではいつまで経ってもたどり着けない領域です。

人間の一日の時間はそれぞれ24時間と決まっていますから、その時間を自分が変化するための時間に使わずに他を否定したり受容できないことを叫んでいても仕方ありません。

批判精神は人間最高の理性ですが、否定や非受容は何の滋養にもならないものです。

受け入れられない自分の幅の狭さは、自らが日々変化できていないからであり、この事実を論理的に理解できるならば今日の今から変わる努力をすれば良いというだけのことでございます。

するかしないかは本人の自由意志ですが、すれば天国、しなければソノママという冷徹な結果は不自由意志です。


台風がやってくるのは生命に初心を思い出させるためです。

台風一過は、空も海も私たちが生まれて初めて見た光景のように輝いて見えます。

初心(赤き心)を思い出すこと、あるいは初心を貫徹することは精神的に非常に美しいことです。


なぜならば普通の人は初心を忘れ、傲慢になったり、軽率になったりするからです。

普通ではないことを行うことがもっとも美しいと言えます。

それが風_エレメント-台風です。


台はムロと書きますが、古語、室(ムロ)は生命が生まれ出る場所を意味しています。

つまり、赤き心が常に生み出される場ということです。

江戸時代末期まで修験者は各地のムロ(胎蔵界を模した巨石)を巡り、この世に生まれでた有難さに感謝し続けていました。

現代人は無益なことに時間を浪費し過ぎています。

ただ、この世に生を受けたことだけに感謝し続けていれば、だいたいのことはとるに足らないことです。

だいたいのことはとるに足らないことと感ずれば、自らが”風”となることをも厭いません。

現代社会の無益な感情体戦争に巻き込まれるよりも一致立脚八百万神々の世界に身を置いたほうがよほどマシです。



とるに足らないこと 捨てましょう 今すぐに




調和力と無償の愛

kohya_hibiki2012-06-25



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調和力・調整力はとても大切です。

自分とは違う考え方を受け入れようとする意志を持っていることこそが”Gift”です。

違うもの・違うことを知ろうとする行為こそwikipedia:ソフィアでありますから、それ自体が女神性ということになります。

しかし、人間は異質なものを拒もうとする防衛本能もあります。その防衛本能がエレメント”火”に発火すると【怒り】となって現象世界にあらわれます。逆にエレメント”水”に接続すると【落胆】になります。

それらの精神的構造を論理的に理解し、行動の質を高めたい方はFive Element Workers (FEW)までお問い合わせください。

この火と水の相克は、自らの才能を発揮するためのステップにもなりますし足かせにもなります。


”他を受け入れたくない”と主張するのは、とても良いことですがそれと同時に自分の輝きを増すための行動が伴わなければそれは単なる文句で終わってしまいます。


スピリチュアルの中には、たくさんのサロンを渡り歩く”スピリチュアル渡り鳥”と呼ばれる方々がいますが、自分が最も愛される場を求めてさ迷い続けています。しかしながら、その愛される場はいつまで経っても発見できません。

なぜならばそこには”与えられる”という前提が存在するからです。

以前よりたくさん書いてきていますが、与えられると同時に”与える”という循環(めぐり)を振り出していなければ、必ずそこには限界が生じます。その原理を否定したい方々は<無償の愛>という価値観を持ち上げますが、それは自分が<無償の愛>を与える立場ではなく、<無償の愛>をもらうことを前提にしていることに注意しなければなりません。


<無償の愛>の実践は自らが進んで異なる意見者を受け入れ、自分の意見を述べ融合することができているということなので、ことさらその価値観を持ち出さなくともすべてが巡りの中で巡ってるということになります。

そこに至っていないのは、必ず理由が存在し、それはほとんどの場合、【他者の否定】か【主張の非行動化】が原因になっています。


<無償の愛>とは、自らが進んで調和に向かう行動を実践しているかどうかで計ることができます。