HMTテンプルマスター養成講座

kohya_hibiki2012-06-18



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江戸時代末期まで日本人のbelong(帰属意識)は、産土神もしくはお上(将軍・天皇)でした。それが明治時代になって強制的に国家神道につけかえられ、戦後は“カイシャ”につけかえられました。


明治時代以後の私たちのアイデンティティーは常に権力からお膳立てされたものであり、人工的に創られたものでもあります。

その結果、私たちの感情体は様々なレベルをさ迷い、コントロールできなくなることもしばしば。本当の意味で信頼し、身を委ねる場を持っている人は少ないでしょう。

理想の家族像は完全に崩壊し、普通に働いていても子供を産めない社会となりました。普通に生活をしていたとしても冤罪や原発被害に遭い、国家権力に基本的人権を蹂躙されかねない社会状況でもあります。


それを元の自然な形に戻そう!というのがHMT巡礼のひとつの目的でもあります。

“スピリチュアル”とは我々新しい世代の新たな帰属意識の創出であり、【国家神道・カイシャ】を唯一神化し、マインドコントロールされた明治大正昭和時代へのロンギヌスの槍でもあるのです。


この流れを否定する者、悪用し地位と名誉を得ようとする自称霊能者たち、その両方が新興宗教にはまった迷える子羊と言えるでしょう。


我々がなすべきことは、否定でも肯定でもなく、高い理想を持って、それを公に宣言し、それに向かって日々行動することだけです。


高い国家ヴィジョン、社会問題解決につながる社会活動、新しい感覚に基づく文化発信、そのいずれが欠けても変革を成し遂げることは出来ません。


行動を決定するのは意識です。意識が高まれば行動の質も高まります。誰かを受容できない自分に固執するよりも、受容できる仲間と共に多くのものを創造していく。時間はあらゆる人にとって同じですが、遣い方は千差万別です。その差は能力によって生じるのではなく、意識によってもたらされます。


表現できないと悩むよりも、表現してみて恥ずかしいと思い、恐れた自分を実証する方が明日の輝かしい未来を手に入れることができます。考えていても仕方のないことはたくさんあります。そのほとんどが妄想です。妄想をするならばもっと大きな妄想を皆と共に致しましょう。



Healing Master Templeにはその全てがあります。


HMTテンプルマスター養成講座では、上記のような次世代ソーシャルスピリチュアルリーダーを募集しています。


政治・経済かそれともスピリチュアルかという二者択一ではだめなのです。


戦前以前の日本でも古代ギリシャでも政治と霊性は常に一体化していました。

霊と聞いて霊能力をイメージする一部日本人の意識レベルはとてつもなく低いです。


そのような意識レベルの低いディセンションした人たちをアセンションさせるのも当ブログを読んでくださっている方たちのお役目でもあります。


何か物足りない生活、もっと愛されたい日常、輝きたい自分の未来。


浄土を手に入れることは誰にとっても願いです。


しかしもっと愛されるためには、人には出せない輝きを放たなければなりません。愛することは浄土ですが愛されることは競争なのです。

女性は男性に選んでもらうために美しくあり続けなければならないですし、男性は女性に選んでもらうために強くあり続けなければなりません。その枠を取り払うこともスピリチュアルですが、この本質を認識し続けることもスピリチュアルです。


競争を否定する人は愛に飢えています。受胎とは何億もの精子が激しい競争を繰り広げ、勝ち抜いたたったひとつの存在が対極の存在と結合することです。

愛の結果が目に見える形で現れるためには激しい競争を耐えぬいていかなければならないのです。

ただ人間は共に戦っていける仲間を持つことができます。他の誰かと戦うのではなく自分自身との永遠の戦いのためにです。

命の輝きと真実の言葉は戦いの中にこそ生まれます。自分のアイデンティティーのありかに悩み、自分のオリジナルの才能に気付く瞬間、それに立ち会うのは人間に生まれて良かったなと感じる唯一の瞬間です。

受胎告知とは争わないための装置だったのかもしれません。永遠の唯一神を創造することによって古代ローマを安定させていく。

政治と宗教は常にひとつです。

宗教的なものを嫌うという戦後の傾向も新興宗教のひとつです。その裏には拝金主義という唯一神の存在があります。このようなことを簡単に判断することができない人達が数多く存在するというのも大きな社会問題であり、様々な問題を助長する根源的要因ともなっています。



目標を見失い、互いの傷をなめあう集団よりも

高い目標を持ち、互いに励まし合い、互いに研鑽しあえる集団を目指しましょう。



違うからこそ認め合える、違うからこそ話し合える、違うからこそ研鑽できる。

頑張らなくてもいい、ただ磨くだけ。枠を外して転がっていけば良いのです。


A rolling stone gathers no moss