希望する人間関係を築くセッション

kohya_hibiki2012-07-08



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自分の内側の真実を如何なる場面においても語ることができないのは喉のチャクラにブロックがあります。

10年前ですが分かりやすく説明したブレスなどあります。

スピリチュアルが好きだけど周りに話しをできる人がいないという方はたくさんいます。

この現象が意味している現実は、“自分はスピが大好きであなたにもそれを伝えたい”という衝動の自己否定です。

もしくは、自己の真実に対する罪悪感です。

この内側の現実が外側の現象を生み出しているに過ぎず、降り掛かる望まない現実の多くは自らの心の有り様によって左右されているのです。

“私は○○が好きです”そしてそれを皆に伝えたいという段階に至るには、自分の真実を信じる『Faith』が必要です。

これは10年前から講座しているように第三チャクラの範疇です。

この『Faith(信)』に関することは一度、スクールの学年を通してのテーマともしましたが、やはり総体的に言って現代日本人が弱い部分です。


それが形而上学の衰退と密接に関わっており、その『Faith』の再生が社会的に非常に重要な課題になっているということは、スピリチュアルを生み出した背景や巡礼ワークをやる意義についての説明でも何度も行ってきたことでもあります。

東京で意外とこの『Faith』が理解されやすいのは、故郷を捨てて、自分を信(Faith)じて上京する人が多いからでありますが、本来は自分の信じた道を歩むというのは成人の前に獲得しているべき価値観でもあります。


論理的に申し上げて、それが出来ていないことが恥ずかしいことなのではなく、ひょとしてそういうこともあるかもしれないという創造性が欠如していれば恥ずかしいことなのだと思います。その創造性の欠如が、福島原発事故のことを<遠く離れた土地での出来事>と誤解釈し<だから私には関係ない>と自己正当化する根源的原因になっているのだと感じます。


それはTVにでてくる政治家と同じであり、英国紙が揶揄した責任の所在を明らかにしない日本人の国民病でもあります。

【ロンドン=内藤泰朗】東京電力福島第1原発事故の国会事故調査委員会が5日に最終報告書を提出したことについて、英各紙は日本文化に根ざした習慣や規則、権威に従順な日本人の国民性が事故を拡大させたとする点を強調し、「日本的な大惨事」に苦言を呈する報道が目立った。ガーディアン紙は「フクシマの惨事の中心にあった日本文化の特徴」と題した記事で報告書の前文を引用し、島国の慣習や権威に責任を問わない姿勢が事故原因の一端にあるとする報告書の内容を伝えた。6日にも「文化の名の下に隠れるフクシマ・リポート」と題した記事で、「重大な報告書と文化を混同することは混乱したメッセージを世界に与える」と批判した。一方、「非常に日本的な大惨事」との見出しで報じたタイムズ紙(6日付)も「過ちは日本が国全体で起こしたものではなく、個人が責任を負い、彼らの不作為が罰せられるべきものだ。集団で責任を負う文化では問題を乗り越えることはできない」とコメントした。
yahooニュース【産経新聞】

すべてはつながっていますので、わからないことがあればわからないと表現し、わかったらすぐに行動する。その行動がひとりよがりな仲良しクラブなものでないか精査する。

そういうことを国民ひとりひとりが自分のこととして実行した時に日本全体、自らを取り巻く目の前の全体は変わります。

変われない人たちの食物連鎖ができると“現状肯定”、“地位確保のための自己正当化(保身・利権)”の傾向が強くなります。霊能者やスピに憧れる精神世界出版人に多い傾向です。現代日本人の末端まで浸透した病です。

論理的に指摘すると必死になって抵抗してくる、その裏に<現状肯定と自己保身>がある場合は要注意です。しっかりとジャッジメント(切り分け)を行い、病原体を除去する作業が必要です。


エネルギー感覚が鋭い方々は、どこからエネルギーが発せられているのかを即座に読み取ることができますので、今まで通りご自分のエネルギー感覚に基づきお進み頂ければと思います。


まだまだ現状、当事者意識は低いのでこれを読まれた方はぜひこのセッションを受けられて、個人の真実の表現の解放がより良い社会の解放になるという真実に到達して頂ければとも思います。

社会の雰囲気を生み出しているのは、私たちひとりひとりの意識です。

会社で言えることができなければその会社を言える場に自分がしていけばよいだけのことです。

それをやろうとしないこと、それをできる立場にないと“怖れ”を自己正当化すること、そのような負の連鎖からFly Away


“できない理由”を探すのは、多くの人の得意業です。逆に“乗り越えられる力”を探すのは限りなく少ない人たちです。

自分がどちら側の人間かは、この文章を読んで今日から何かをやり始めたかで判定することができます。


“誰かがやってくれるだろう”という人任せな無責任主義が巨大になると弱い者を犠牲にするシステムが出来てしまいます。当人たちに罪の意識はほとんどありません。

自分たちの社会をFaithし、今日から行動する行動意欲。

自らが望む人間関係を構築するのもそれを達成するためのひとつの入り口だと思います。