水流れる。

kohya_hibiki2012-07-14



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皆、頑張っている。

エレメント『火』の浄化は時に必要。しかしそれを使い過ぎると自らが滅びる。
獅子のエネルギーはその“時”と“場合”を嗅ぎ分ける金のエナジー

多くの人は『火』を好まない。身の危険を冒してまでライオンを調教したいと思う人が少ないように。


獅子のエネルギーを操るものは選ばれし者などではなく、自らが自らの責任において“選択”をした者だけ。

攻撃と守りは両方が必要。フォワードが点を取れない、ディフェンダーが守れない、ではサッカーが成り立たない。
人間の内部に渦巻く火と水のエネルギーにも同じことが言える。

守ることは攻撃につながるし、攻撃することは守りにつながる。男女関係もその他の関係も同じこと。
どちらか一方ではなく、両方が必要。


守りに徹し、攻撃をしかけなければ試合そのものの意味がない。
攻撃に徹してカウンターで点をとられ過ぎてもなんのための試合なのかがプレイするほうも観戦するほうもわからない。

あらゆる勝負は、この内面の火水(カミ)バランスを知るために、実は行われている。

そのエネルギー原理を抽出したものがFEW(FIVEエレメントワーカーズ)

サッカーの試合は90分間行われますが、剣の勝負ならば一瞬で答えが出ます。真剣なら負ければ命を落とします。


弥生時代から我が国はそのような真剣勝負をする侍層によって支えられてきました。
武士の誕生は平安末期ですが火水エネルギーの真剣勝負は少なくとも弥生時代には遡ることができます。

二見ケ浦の神石は、それら古代哲学性が究極的にシンボライズされたもののひとつです。

それを哲学的に理解しようとするのか、それとも素通りするのかで日本人に生まれた喜びや意味の認識に大きな差異が生まれます。

与えられた命は同じであるのに歓喜の度合いが違うのです。


自らの内側から沸き起こってくる無限の日本列島パワー。真実性と本質性にエネルギーの終わりはありません。

なぜならそれらは常に形を変え、森羅万象を駆け巡っているからです。


攻撃と防御は住吉大社の門神ともなっています。

“戦い”とは何か?それは古代大和では“調和”を意味するのです。