寄り添う愛
深く寄り添うことは“肯定”
赦すことも“肯定”
やってくれたことに暗に行動を返すのも“肯定”
人間は自分という存在を認知してもらいたいがために生きている。言葉だけではない認知の肯定作業。
日本独特の“察し”と“思いやり”、最近では死語になりつつありますが、無言の肯定作業の拡範装置。
陰で無言の肯定作業を行っても都市生活者は気付かないことが多い。それがなぜなのかは専門で調査してみないと断定はできませんが、幼少の頃、自然に抱かれた経験がないことがひとつの原因になっているのではないかと思います。
夜、カエルの声の中で寝る快感。見えない無数の生き物たちによって生かされている自分。言葉はないが無言の肯定で自分を支えてくれたあの日。
その肯定者をいとも簡単に破壊してしまうものたち。それが自分たちの首をしめることになるとも気付かない。必死になって自己肯定を求めてビルの間をさ迷う。
それはまるで記憶喪失。
我々が古代より培ってきた環境。利便性だけを求めて潰すだけでは代償のほうが大きい。
カエルの声、そこにある
本当の認知、ありがとう
支えてくれたものたちの陰の認知
主張しあうのではなく、深く寄り添い合う愛。
同じ方向を見ているからこそ説明がいらない愛。
知ろうとすることこそ愛。
“知”はSOPHIA
フィロソフィアによって寄り添う愛。
鼓舞し、さらに深い哲学性へと誘ってくれる愛
カエルという純粋な彼方へ
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