晒すボディーとつながり

kohya_hibiki2012-08-01



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愛と優しさだけが地上の真理であれば良いのですが、命の有限性と細胞(肉体と精神)の成長限界性がある限り、地上には愛と優しさの逆説的な真理が存在します。

その逆説的な真理の本質を掴み表裏一体の真理を同時に同レベルに認識するのが”大人になる”ということですが、その形而上学的概念を失った社会に対してそれを求めるのさえ困難であると感じます。

それを取り戻すこと、そのレベルを求める期待さえ、欲望となりますから、時に私たちは”つながり”という自我や真理を超えたメロディ(流れ)に身を委ねることも必要です。




思考があるがゆえの苦しみ



自我があるがゆえの苦しみ



欲望があるがゆえの苦しみ




すべて認めてしまって溶け出す晒すボディー(サラスバティ)

自分を捨てるという概念破棄(エネルギー観音開き)は慣れていないと意外と難しいのかもしれません。

レイキでもなんでもそうですが、エネルギーワークの基本は溜め込まないで”流す”ことが基本です。

サーフィンやカヌーも全部同じ。

より大きいエネルギーを扱えるようになるためには、この”自分晒し”の状態に如何に早く、如何なる状態でも入れる精神状態を維持しておくことが何よりも重要です。

シャーマニズム用語ではこれを”トランス”と呼びます。


”涅槃”とは手に入れるものではなく、捨てた結果、舞い込んでくるものであり

”修行”とは認識を獲得していく行為ではなく、捨て去った結果、湧き上がってくる人間本来の力であり

”発心”とは自分のネガティブさを晒したときに初めて始まります。



秦 基博 / 僕らをつなぐもの