ネガティブデポジット④ 〜 安らかなる時間 〜


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いつもありがとうございます。返信をお待たせしている方など申し訳ありません、忘れない内に書いておきます。


子供時代は自然の中で育ちましたので、正常に循環する生態系の中で生活しませんと、心がとても息苦しいのですが、ここ15年ほどその苦しさに耐えて耐えて耐え続けてきましたので、その土のメンタリティがコンクリートのメンタリティへと移行していく内部昇華とも呼べるような脱皮を感じています。


この問題は、郊外型都市について書いた時にも触れたと思いますが、郊外型都市は、如何にも自然がたくさんあるように見えて実は生態系の質と量において、かなりコントロールされた部分があり、農薬と同じTHINKメソッドが用いられていますので、かなり苦しかったです。


そのメソッドのアルティメットな形が原発であります。


東京という都市が今でも機能し、さらなる拡大を続けられるのは上記とは全く逆の思想であり、生物学の原則に基づいた都市計画が後藤新平によって為されたからであり、逆に原発は20年ほどで破綻しました。生物学の原則に基づかない思考回路が原発だけではなくあちこちに散見されます。


そこまで哲学的テーマを国民皆が意識して初めて日本の未来が見えてきます。


ただそれを変えようにも普通の状態がどんなものであるのかを知らない人の方が多く、さらに苦しさが増したという感じだったでしょうか。


他人がその苦しさを理解できないのは普通のことなのですが、仲間や身近な人とその苦しさを共有できないのは致命的というか一番苦しい状態になりますので、神さまが見かねて私に何度かチャンスを与えてくださっているのだと思います。



もうどうでもいいや、とかいう問題ではなく、必要以上の責任を負わないというのも大切かと思うようになりました。20代の頃働いていた農業法人の社長が『持てるものには義務がある』というノブリスオブリージュのような哲学を持っていてその哲学が私も好きでしたのでずっと携えていましたが、それさえももういらないかな、と思います。DutyやObligationが何を排除し、何を生み出すかはまだこの先、ずっと考えなければならない哲学的テーマであると思います。


認めるとか認めないとか、そういう思考的な部分でもなく、都市生活を拒否していた私の古い魂が”都市生活”と”土のシャーマニズム”の共存に最終的なGOサインを出したような感覚があります。


この共存は『命のつながり』というキーワードでくくられますから、そこだけでよいのではないかと思います。


都市を否定するだけの存在ならば、私は縄文弥生の魂を持って生まれてくる必要はなかったと思いますので、自分自身でもこの存在の意味や時代精神のフローを見据えつつ、最期の時を迎える時まで結果は出せずとも準備だけはしておかなければならないと思っています。



子供の頃の記憶や匂いというのは生涯続きますので他者を理解・受容するためにはそこまでさかのぼって理解する意欲を持たなければモチベーションを維持することは難しいです。

ただそこを見据えさえすれば現実的なカルマ解除や現実的なアセンションも見えてきますので、何度でも起き上がるロードマップの作成は必要かと思います。


過去はどうであれ、同じ未来を見据えさえすれば何度でも友情は友情に還り、愛情は愛情に還ることと思います。


自分が理解されることは他者を理解しようとする行為の裏側にあるものです。その鏡の世界でもし自分の存在価値をうまく見出せないのならばそれは悲しい事です。ネガティブデポジットではそのようなクラウド(雲)を晴らすお手伝いをさせて頂きます。