トリムールティと葦原中国

kohya_hibiki2010-02-15



聖音オームについては、過去に一度書きましたが、今回はもう少し掘り下げて書いてみたいと思います。
(参考⇒聖音オーム、そして三輪

オームはaumと書き、『a』が維持を表し、『u』が破壊を表し、『m』再生を表しています。

これを月(moon)で表しますと、月が満ちている時にアーという言葉を発し、満月になって月が欠け始めた時にウーという言葉を発し、新月にム(ン)で括られるということになります。

今年は昨日(2月14日)が、ム(ン)の元旦であり、wikipedia:ついたちでした。

神社には狛犬が祀られており、これも聖音オームを表している場合があり、ア・ウンとも呼ばれます。

日本のアカサタナは、この聖音オームの括りに様々な音を入れ込んだのが起源となっているでしょう。ヒフミやイロハはこれとは根底にあるものが違います。

インド哲学は本来「音の本質」というものに関心を示し、インド音楽と深い関係を持っている。特にヨガやタントラでは、この現象的な世界において絶対的な創造物である太古からの音、ナーダ・ブラーマン(Nada Brahman)があったと信じられている。ナーダとは最も緻密な要素で構成された宇宙の音、そしてブラーマンの創造する力のエネルギーはまた、ナーダ(音)あるいはシャブダ(Sabda 言葉/音声)という意味付けもされる。
 ヒンドゥー教の概念によれば、音というものは二種類あると考えられる。ひとつはアナハタ・ナーダ(Anahata Nada 非物理的な音)でこれは単に五感に感じる音ではなく、精神や魂を通じて心に響き渡る音という性質のものである。ふたつめはアハタ・ナーダ(Ahata Nada 物理的な音)であり、アナハタ・ナーダの性質と非常に意味を異にするものである。
 このように、インド音楽の起源は深く精神的でありまた宗教的である。また、ほとんどの神や女神は音楽やリズムの性質に基づいて、何からの形で象徴的に関わっている。創造の原動力であるブラーマは、ビーナーを手にしたサラスワティーとして崇められているし、シヴァはダマール(太鼓の一種)と共に踊り、クリシュナは彼の崇拝者を美しい竹笛で魅了する。このように全ての神性の具象化には、伝統的な歌や踊りで彩りがなされてきた。

『ヒンドスタニーミュージック』シェイラダール著 中村 仁 訳 (J.I.N Music Association)

アナハタ・ナーダ(Anahata Nada 非物理的な音)とアハタ・ナーダ(Ahata Nada 物理的な音)の考え方は、日本の古い古い信仰の中に重なる信仰です。

昨年12月の連続地震前夜に感じたウズメの腰ダンスで鈴が鳴っている音は、非物理音のアナハタ・ナーダであり、それがタクハタ王女(白山・北極星)につながり、12月末から年初にかけて御杖が建ちはじめ、物理的な音・アハタ(八幡)ナーダとなって、愛知県(葦原中国)に現れてきているのです。

おそらくこのインド哲学根本の音信仰は、日ノ本国に取り入れられていて銅鐸文化の根幹を成していたと思われます。

これは、前回、阿弥陀如来と弓月国で書いた伊勢湾を日ノ本中央とし富士・常陸を『日』とし、四国九十九洋を『月』とし、白山を『星』とする、そして中央構造線沿いに日迎え・日送りを行っていた日ノ本国の祭祀とかなり高い親和性を持っているのです。

後世のヒンドゥーでは「a」は維持神ヴィシュヌ、「u」は破壊神シヴァ、「m」は創造神ブラフマーを表し、全体として三神一体(トリムールティ)の真理とされますが

日ノ本国に照らし合わせてみますと

「a」が白山でイザナギイザナミをくくるククリヒメ。しかも維持神ヴィシュヌは鳥神ガルーダに乗っており、能登半島を鶴の頭とした鶴信仰に重なる。またヴィシュヌの妃はラクシュミである吉祥天、吉祥天は北を意味しますからこれもがっちりと合理性があります。

「m」はブラフマーで不死身の太陽神・富士山。創造神ブラフマーはハンサという白鳥にのった老人とサラスバティ(弁財天)。富士山になぜ日本武尊コノハナサクヤ姫が祀られるようになったかは、ヒンドゥー教で解決できます。コノハナサクヤ姫はコノハナ(磐)を裂いて出てくる水、つまりイチキシマヒメであり弁財天。

そして「u」は、破壊神シヴァ。四国九十九洋中央部のシヴァの乗り物ナンディンを表すような牛型の巨石があり、その麓に日本初の天満宮がある。(参考⇒天満宮北極星)また、シヴァの漢訳である大黒天に関する伝説が多い。

そして四国南西部で、月をあらわす大月町、四国88ヵ所「発心(阿波)・修行(土佐)・菩薩(伊予)・涅槃(讃岐)」の内、修行の最終章で死と再生の分岐になる第38番札所 蹉陀山 補陀落金剛福寺(こんごうふくじ)、そして 白皇。白皇を数字に分解すると99+111=210(詳しくは白寿・皇寿を参照されたし) wikipedia:二百十日は、立春から起算して災いがもたらされる日。210はシヴァを表す。風鎮祭はこの時期に行われます。

土佐神社主祭神一言主は、悪事も一言、善事も一言、言い離つ神。「u」と言い離てば、善も悪も全てが破壊されるという意味。その後、波多国に入ってきた加茂氏が掲げた神・事代主は、はじめに言葉ありきの西洋の神。出来事と言葉を同じものとして捉えていた非常に哲学的な民族。はじめに音ありきのインドとは一線を画します。

一言主の神格の一部を事代主が引き継ぎましたが、根底は『聖書』と『ダンス』で少し違います。前者は男性的で後者は女性的。聖音オームで統合する必要があるのではないでしょうか。



このインドのトリムールティが適用された場合は、「u」が99で「m」で100となります。すなわち九十九神が四国九十九洋で百が富士となる。隠れた桃の産地である山梨は実は古い歴史があるのではないでしょうか。
100でリセットされ白山・立山に戻る。立山からは日本最高峰の富士山が見え、白山以西で西日本最高峰は石鎚山石鎚山には平安時代まで三位一体の信仰があり、馬場が栄えていた。

ヤマトタケル信仰が東日本に多いこと、神功皇后伝説が西日本に多いことは、東のブラフマンと西のシヴァで解決できます。


wikipedia:モーセは、シナイ山で神(大天使ミカエルと言う説あり)から石版2枚の十戒を受けた⇒はじめに言葉ありき

アマテラスを天岩戸から出すために、?オモイカネは常世の長鳴鳥(鶏)を集めて鳴かせた ?アメノウズメが岩戸の前に桶を伏せて踏み鳴らし ?高天原が鳴り轟くように八百万の神が一斉に笑った⇒はじめに音ありき

こう考えると、天岩戸神話は倭国ではなく日ノ本国(銅鐸・音文明)の神話であることがわかります。

弥生時代後期にシヴァ国(月国)が銅矛文化圏の侵略を受けて、次第に倭国を形成していったということがわかります。