トキとまり コウあらわる
我ら 霊の本(ヒノモト)の民 死して 尚 死せず
不死身(富士見)の翼は 椿と為り(鳴り)て
香しきニホヒ(匂い)は 天まで届く
アメノホヒ 香具山に降り立ち 日の本を加護(カグ)する
籠の中の鳥は 今ひとたび
閃光となりて 闇夜を照らし
風となりて 芽吹きを息吹き 水となりて 心を洗う
昨日からどんどん大きくなってきているのが、トキ(現在/過去/未来)の問題。
私は過去に戻って、祝島の問題にもう一度、皆で取り組まないといけないと思ってました。
あの時に、危険な原発を止められるだけの市民力があれば、今のような悲劇はなかったかもしれない。しかし、現実はそうではありませんでした。
福島原発事故発生後、祝島の原発建設計画は山口県知事の申し出により一時中断となり、宮崎県串間市の原発建設計画も中止となりました。
科学は想像力を遮断する。
事が起こってからでないと現実を認識できない人たちがたくさんいます。
古の神々は我々に試練を与えてくださっています。
想像力でクリエイトする社会、そして創造が現実をコントロールする社会へと舵を切らなければなりません。
私は時計のねじを巻いてくれたのだと思っていました。
しかし、先ほど20日・22日に出雲でのトキの産卵(47ニュース)のことを知り、過去に戻ったわけではなく、トキが止まる空白の時間に今、入っているのだと認識しました。
つまり、20日のエクストラスーパームーンの日に南海/東海/東南海連鎖地震は起こっていたのです。
それが現実に現象として表れなかったのは、トキが止まったからです。ですから地震は必ず起こります。それまで私たちが何をするかです。いつ、トキが元通りに動き始めるか今は、わかりません。
それをこれから調べにいきます。
一年前に書いた日ノ本国の記事がものすごく自分の中で立ち上がってきます。
全ては用意されていたものではないかとさえ疑ってしまいます。それではこの災害の残酷さはどう理解すればいいのか。。。そう思います。
地震予知の最新情報記事でも書いたように、2011年3月11日の『11』は十一面観音を表すことはもちろんのこと、門も表しますので、封印された音を闇を切り咲いて出していく必要があるでしょう。
そして、日ノ本国の記事にも書いたように11を漢数字に直すと、『土』になります。生命は土から始まり土に還ります。これは破壊と再生の神の特徴です。
また偶然にも日本の地名に土岐(トキ)があります。
岐はフナド/クナトの神(サルタヒコ・道祖神)なので、土岐は土の分かれ道という意味になります。
つまり、日本語の『土』という文字は、生命が生まれては死んでいくというトキを司り、土から生まれ土に還るという破壊と再生を司り、闇を切り裂いて音が鳴り始めるという音の発生と消滅の現象界の究極的なトキを司っているのです。
何回も書いておりますが、日ノ本国最大の信仰は、ヒンドゥーにつながる【無音】【有音】の哲学です。それが銅鐸を巨大化せしめた理由です。
またギリシャ神話におけるwikipedia:ホーライ(蓬莱)が時間の三女神を表しているのにも注目です。
多度大社でラグナロク(この世の終わり)の前に吹かれるギャラルホルンを楠(クロス)の根元で昨年8月に発見しましたが、多度と熱田の結びつきは非常に濃いです。熱田神宮の蓬莱は有名です。
以前にも書きましたが、時間と剣は非常に密接な関係があります。九十九に一を足すと百になり桃になります。これは時間をひとつ進めるというメタファです。
しかし、百になりますと同時に衰退をも意味しますので、古の日本人は九十九(つくも)を信仰していたのだと思います。
そこに新たに入ってきた11の哲学。それは新しい始まりを意味する時間の哲学の最高神でした。
我々日本人は、必死になって土偶を作り、埴輪を並べました。
土には新たな始まりのパワーがあると考えていたからです。
古来の九十九の哲学、そして新たに入ってきた十一の哲学、これを足すと110になります。
実は、古の日本では、王の中の王は『111』で表されました。つまり【川】
その別名は【皇】です。
ちなみに木曽川・長良川・揖斐川は南に向かって川の字になっています。多度大社の古い信仰はこれではないかと訪問した時に感じました。
白は九十九に分解され、王は十二に分解されるのです。
もう勘が良い方はおわかりだと思いますが、『王』は、『土』に一本線を加えたものです。
つまり、土(トキ)を司るものが最後の剣を持っているということです。
皇が治める地をカウチ/カフチと呼びました。水神の都です。
ほとんどの場合、河内と書きます。
なぜ私が、土佐(カウチ)と美濃(土岐)、そして尾張(草薙剣はオロチの尾を割って出てきました)のことをしつこく書いているのかを今ならおわかり頂けるかと思います。
賀茂氏の信仰と深く関わっています。高知県南西部には白皇神社という神社が多く分布しています。秦王国の痕跡を留めていると思います。
しかし、また皇(女神)は、幽界へと姿を消すかもしれません。
近代的天皇制は、この「皇」を巡る動きを外して考えることはできません。つまり、賀茂氏がなぜ歴史の表舞台から姿を消していったのカモ、これを知れば明らかになります。
神は、「ネが申す」と書きます。これは明らかに、はじめに言葉ありきの哲学です。ネとは子丑寅のネであり、始まりという意味です。
皇は、「王より高きところで白しめす」と書きます。少し前にも書きましたがハツクニシラスもこの考え方からきています。つまり剣を持った土(トキ)を司る王よりもさらに上に白き女神がいらっしゃるということではないかと思います。
これも前にも書きましたが、この「白」は、白る(知る)という意味です。
神と皇の哲学とは少し違います。しかし2つともコウと読みます。そういう言葉の不思議は無数にあります。
私たちの国には、たくさんの信仰が様々な土地から入ってきて、それが根付きました。それらを否定することはできません。
日本のそれぞれの地域を認め、世界のそれぞれの地域を認める。それが今回の地震や原発事故で浮かび上がってきているテーマのように思います。
私は日本の中央部とも言われる美濃あたりにwikipedia:両面宿儺の信仰が残っているのはwikipedia:ヤヌスと関係があるのではないかと思っています。
ヤヌスは、ローマ神話の出入り口と扉の神です。英語でJanuaryの語源(ヤーヌスの月)になっており、つまり始まりをも意味しているのです。
西では噴火【火】が起こり、東では津波【水】が発生しました。これ、本来は逆ではないのかな?と思います。
それをあらわすように太陽信仰が強い土地、茨城県大洗には津波発生後に渦潮(アワ/太陽)ができました。
その後、原発【火】が暴走しました。
火と水のバランスが崩れ、東北は数メートル東に移動したようです。
暴走を止め、火と水のバランスを整えるために土岐へ向かわなければならないと思います。
そして美しい筑波嶺の二峰のように男体山と女体山が並び和合することを願います。
トキが止まったのは、何かが生まれたから?。。。
父・母・子 三位一体
原文 トキとまり コウあらわる
出典元 Lemurian resonance