決戦はヒカリモノ?

kohya_hibiki2012-05-11



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多分に個人的な感覚もあるかと思いますが、決戦の意味について書きますね。

文献ではなく実際に神社巡りをしていく内にわかってきたことが1点。

神社の祭神が強制的に変更されたり消されたりした集中的な時代が3つあること。


律令国家成立時

明治維新

第二次世界大戦


3つの中で最も大事なのが①です。

白村江の戦い以後、徐々に唐式の律令国家制度が導入されるようになりましたが、急激に為されたわけではなく徐々にです。

現在の歴史学では大きな誤解を生むような”大和朝廷”という書き方が一般的ですが、日本において中央集権思想が始まったのは、白村江の戦い以後なので注意が必要です。

一般的に言いますと現代日本人は中央集権思想しか体験する機会があまりないので、連合国家とか、連邦制、共和制の感覚は少し薄くなると思います。その結果、民主主義精神の理解も非常に薄くなっていると思います。

邪馬台国という時、ほとんどの方が女王卑弥呼が日本をコントロールしていたと妄想しがちですが、それは当時の社会体制や宗教意識からはあり得ない話です。

スメラ(皇)という語が昴からも導き出されるように、あるいは神鏡というものが自分の写し鏡、大いなる君から生まれてきたものであると認識する時、神と人と皇が、かなり近しい存在であったことが伺えます。

つまり、そこには中央集権思想というものはなく、各部族の部族長が代表や皇族を選出し合い、円卓のテーブルで時代の皇(スメラ)を決定していたというひとつの社会体制が浮かび上がってきます。

これは完全に都市国家ポリスの連合体であり、共和制ローマに近い形の社会体制になります。共和制ローマは、より民主主義的なケルトフェニキアを吸収しながら最終的には帝政ローマへと脱皮していきましたが、この変遷は日本においても同じです。

フェニキアがローマに敗北した最大の理由が民主主義が徹底されていたからだという見方が一般的です。ヨーロッパの古層・ケルト人たちも民主主義的性格が強いため団結してローマに対抗しなかったので徐々に駆逐されていったとする見方が最も説得力があるでしょう。

これは日本における白村江の戦い以後における、大和朝廷蝦夷の戦いにおいても同じことが言えます。つまり、圧倒的な戦力を持ちながら唐・新羅軍に大敗北を喫してしまったその原因を共和制の社会体制にこそあると判断してしまったのです。それが以後の律令国家建設の決定的な国家思想のベースになります。

その思想の元で、万世一系や都が畿内にあり続けたということを主張しなければならなくなりました。『記・紀』の辻褄が合わない箇所はこのようなところからきています。



”決戦”の意味を知ってもらうために、上記の思想的理解が一点。②と③は同じことが繰り返されています。



また、①を理解する上で欠かせないのは、天智・天武大戦。この二人を巡る内戦のバックボーンを魂で理解してくことが欠かせません。

要するにこれは東日本と西日本の絶え間ない争いの結果なのです。ひとつの指標として倭国と日ノ本国という尺度を用いて説明していました。その分岐点のひとつが関が原であり、南宮大社なのです。

この1300年の時を越えた思想的課題の解を導くために2,3年ほど濃いフィールドワークをやっておりましたが、最終的に辿りつきましたのが、エビスさん。そして天照文化圏と大国主文化圏の誓約という地点でした。

つまり、私たちは1300年間中央集権思想(帝制)と地方主権思想(共和制)の内戦をしてきましたけれども、古代大和誕生時にその大同団結がなされていたということです。

大和という言葉は、まさにその2つの思想の誓約によって生まれた言葉です。それが国常立(国が常しえに立つ)という神を生み出した私たち先祖の想いです。

それがなぜ今、必要なのかと言いますと、現在でも世界各地で戦争や争いごとが続いていますけれども、古代はもっと戦乱が続く世の中でした。そのような世の中でシルクロードの東端にユーラシアの多くの民族と宗教を統合し、大同団結した大和という国家ができたこと自体が奇跡的なのです。古代にできたのだから今、できないはずはありません。

国連というものをイメージする時、日本人はほとんどの方がこの古代大和の大同団結の感覚で捉えています。

世界の国々がみんな仲良く話し合って問題を解決すれば良い、というのは非常に日本人的な感覚です。世界の人たちから見れば常識からかけ離れています。通常は、戦争に勝った戦勝国が主導権を握る、もしくは権謀術数で多数決において勝ったほうが主導権を握るというのが普通の感覚です。

多数決で負けたものの意見も聞こうというのは、多分に”昴・スメル”の感覚が入ってます。世界で言えば、ケルトフェニキアの末裔の人たちが”昴・スメル”の民主主義的性格を維持しているといっても良いです。

江戸時代末期に日本にやってきたヨーロッパの人たちが幕藩体制を自国に報告する際、説明の仕方がわからなかったという話もありますが、大きい武将(徳川)が中小の武将を武力でコントロールし、皇から征夷大将軍を任命されているという権力の2重構造は他国の人たちには理解しがたい社会体制です。

なぜならそれは彼らが失った共和制という社会体制だからです。その後ヨーロッパの帝政の社会体制を移入し、明治維新となっていくのですが、江戸末期まで信仰されていた祓戸の女神たちも一気に姿を消しました。天武朝においても天智朝まで行われていた祓戸の国家祭祀は廃止されました。

どちらか良くてどちらかが悪いということではなくそういう時代であったということだけだと思います。

それを今、見直さなければいけない理由は、そういう時代に差し掛かっているのです。それが【アセンション】です。スコットランド独立のことも先日書きましたが、世界が一緒になって共和制へと回帰していく時代になってきているのです。13というのはマヤの聖数です。律令国家が導入され始めたのがちょうど1300年程前です。そして日本において権力が発生した頃とされているのが2600年前です。皇紀2600年の石碑を神社で見かける人も多いと思いますが、第二次世界大戦皇紀2600年を掲げて戦いました。

アセンションという思想は、西洋人の千年王国という思想が出元です。それが正しいかどうかは別にして、私は大局的にずれてないと思っています。西暦0年からこれまでの時代を魚座の時代と呼びます。キリストが魚(イクトゥス)で表されるからです。それが終焉してこれからみずがめ座の時代が始まるというのがその大局的な思想になっています。

資本主義を引き摺って自然を破壊し続けるよりも、よほど有意義な思想であると私は感じます。とにもかくにも現状肯定ではなく未来志向であることが人間にとって最もポジティブな生き方であると思います。

西洋人自身が魚を捨てて新しい時代に向かおうと言っているので、それは結構、勇気のいることであると思います。そういう時代に日本人に何ができるのか。彼ら彼女らと同じことをする必要はありません。私たちの国には他の国にはないオリジナルな過去があります。それが古代大和。それを私たちひとりひとりが思い出すだけで世界の中で強烈なオリジナリティを発揮できます。

そのために聖地巡礼をやっています。まずやらなければいけないのは東と西の統合。鳥羽です。

私たちの先祖が争って争って争って出した答えが”笑い”による東西統合です。ナンクンとは基本、エビスさんのことです。

しかし、カニレジェンドさんが言っていたように【エビス=女神】説がかなり濃いです。

そこにミブ・ミヌメ・ミノ・・・、先日から申し上げている女神水龍たちが関わっています。

龍神が住む河に鉄器を投げ入れると祟りがあるという地域も未だに存在します。互いに相容れなかった鉄と水。

それは共和制・帝政の問題、東洋と西洋の問題、男性性と女性性の問題、東日本と西日本の問題、神と人の問題、原発自然エネルギーの問題、、、etc

現象世界における様々な2元論の問題とも密接に関わっています。古代、グノーシス主義が入ってきていたような時代に2つの主義主張を統合するような巨大な宗教意識が日本にあったということです。

私はそれを縄文ヴィーナスと呼んでいますが、その女神意識を日本人ひとりひとりが取り戻し世界平和に具体的に貢献すする時代になってきているのではないのかなと感じています。


日本人の集合意識が一歩前に進むためには、思想的に開闢させる人たちが必要です。私たちはそのひとつのセグメントとして動いています。

鉄と水の問題を統合すれば、原発自然エネルギーの問題もひとつ進ませることができるという想いがあります。なぜならその問題は根源を辿っていきますと火と水の問題であるからです。

例えば、原発・中央集権・男性上位社会というのは全て『火』のエレメントです。一方で、自然エネルギー地方主権・男女平等社会というのは『水』のエレメントであり、日本の弥生時代の社会体制です。だから私たちは穀物神話を戴く本来の日本人のあるべき姿に回帰すれば『火』を抑えていくことができるのです。

穀物というのは国物です。つまり大国主です。一方で明治期以降のアマテラス信仰というのは政治的に『火』の部分を高められたものでもあります。この大国主と天照がちょうど融合したのが神戸あたり。つまり”Cowベ”、カフベ(甲部)と言っても良いです。

全てはサイグウの笑いから開いていくのです。ユリであり、牛であり、甲であり、、、

サイは細とも書きますが、ウズメも細女とも書きます。以前、天照大神が岩戸から外をチラ見したのはウズメのムチャ振りが原因ではなかったか、ということを書きましたが、やはりそのラインは濃厚であると思います。濃は美濃の濃でもありますし、イヨイヨ(1414・伊予伊予)本格的に太陽へのムチャ振りを考えとかなければと思います。

ミサキ(カラス)がクイナクイナと歩いているのが、何か本当に引っかかっています。

917(足して17)のムチャ振りとはなんでしょうか?

稲(17)を食いな(917)ってことでしょうか。そんな人はいな(17)いっていうことでしょうか。
微妙に滑っているのは鶴と亀がいな(17)いからでしょうか。
そんなこと言いな(17)、それもいいな(17)
【関西弁と標準語で否定形と肯定形になる17】

17時は巳だから蛇。クイナが蛇を食べたのでしょうか。確かにミサキ神に蛇はいませんよね。

3つのマザリングサンデイ

kohya_hibiki2011-05-02



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あまりにもインスピレーションが来すぎて頭が痛いので早めに休もうかと思っていたのですが、書かないと寝られそうにないので書いています。

前回書きました3つの葉山の意味がわかりました。

実は昨日、六甲山山頂まで行っていたのですが、あまりにも火のエレメントが強く出過ぎています。

5月5日付近に関東で見送られれば5月11日に六甲山(ユスルハダケ)もしくはそれより以北の内陸にエネルギーの集中があるのではないかと思います。単なる”私個人の感じ”です。

以前、芦屋直下がありました。

読み返してみるとやはり関東と神戸がつながってると1月29日に書いてました。今日もそれを3ヶ月ぶりに感じました。忘れてました。

葉山とはおそらく、羽とか母とかいう意味。昨日、ヒメユスリハという樹木に釘付けになったことを先ほど思い出しました。

羽と母は、コロモにつながっているような気もします。これ天女ですね。


1月29日の記事で

東国三社(鹿島神宮香取神宮、息栖神社)、西国三社(広田神社、生田神社、長田神社)、北国三社(白山姫神社、白山平泉寺、白山長滝神社)を東宮/西宮/北宮として整備し、369打ち(ミロクウチ)として巡礼すれば面白いかなと思います。

みたいなことを書いていたので、これかもしれません。3つの葉山。とすれば5月11日の芦屋が見送られれば今度は白山に行くということか。。。まるでシーソーのように。


今日は八十八夜ということで2つの八です。なぜかわかりませんが5月9日は母の日です。

なぜか3つ揃っています。


昨年、3月3日と5月5日が入れ替わっているんじゃないかという記事も書かせて頂きました。

これも非常に大きい。3と5を足すと八ですし、ここまで来ますとこじつけ過ぎなのか当たり過ぎなのかわからなくなってくるレベルです。


ここが一番大事なのですが、ユズリハは、なぜwikipedia:ユズリハと呼ばれるのかをご存知でしょうか?

上のリンクを呼んで頂ければおわかりかと思いますが、春に枝先に若葉が出たあと、前年の葉がそれに譲るように落葉することから、そういう名前がついています。

つまり、母親(ハハ)が、揺すって子供に譲るのです。被災された方のことを考えますとそれが地震だとはとても言えませんが、ユズリハの落葉の法則には泣けます。

ユズリハの中でも、さらに姫色が強いヒメユスリハの最大群生地に昨日、導かれて行ってたのです。



・・・・・・・・5月3日に以下追加しました。

写真を貼ろうと思いましたら全部ぶれてたのでUPできません。申し訳ないです^^;

今記事追加中ですが、昨日書いた後に東国三社-西国三社-北国三社のラインは少し違うかなと思いました。

2005年4月11日に書いたそもそもの始まりの所に示されているように、金華山からの始まりは福岡で締めくくられるのです。

ですから、どこでどんな見送られ方をしましても、金華山で起こったエネルギーは、関東⇒神戸⇒福岡へと抜けて、それが起こった後で南海トラフに転じるというのが私個人の見方です。これは地震翌日の記事でも書きました。


4月29日に青龍山に登る前に湧いていた文字アワセは、429=死肉(ネガティブパターン)、429=至福(ポジティブパターン)、429=雫(統合パターン)です。

つまり、現在必要なのは、ネガティブパターンでもポジティブパターンでもない、統合パターンによる数字解釈です。

この結果から導き出しますと

5月5日⇒関東(やはり葉山)、5月11日⇒六甲山以北、5月29日⇒福岡。

これが5月のエネルギー集中の今のところの結論です。

529の意味するところは、いつく(斎く)です。つまり斎の宮であり、イチキシマ姫。

それがなぜ厳島ではないのか、という問いに関しては、厳島がタケル(太陽神)の島であるという結論に至ったことや6年前のインスピレーションの中には出てきてはいなかったことなどがあげられます。

しかし、ひとつ気になりますので、3つの葉山が三体妙見と関わっていたなら三島信仰に直撃するので伊豆-伊予ラインになる可能性もあるということです。


Athenai 20 は現在8割方ページはできましたけれども、これも斎宮に関わる活動になります。

確か廣田神社には葉のつく御杖代が祀られていたような記憶が、、、また調査してみますが、現在はこんな感じで推移しております。

古今東西 而二不二 Game

kohya_hibiki2011-03-31



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金華山へ行って日子坐の鍵をもらってからというもの、かなりのインスピレーションが降りてきます。

やはり、トキの扉を開いたというか、トキのない世界へ入ったという感じです。

今日、わかったことは前回、トキの彼方から22(不二)のメッセージで書いた22(不二)が、金胎不二(きんたいふに)さらには、而二不二(ににふに)(岩瀧山 往生院六萬寺)の世界であることがわかりました。

金華山の金とはおそらく金剛界の金であり、品川寺HPには下記のように記されている。

「理智」の「理」は胎蔵界の平等性、「智」は金剛界の分別智を表し、金・胎両部は不二であることを説く。そして、この両界によって大日如来の徳が完全に示され、理智不二は、本来清浄の境地であり、両界に現存する無量の諸仏諸尊の徳を礼讃することを主旨としている。

つまり、ここでいう『理』とは、私が女神理(メガリ)であると指摘してきた【巡り/恵み】のことであり、ダブルMの平等性のことであり、『智』とは、剣にも形容される私が【ロゴス】と呼び続けてきたものであります。


そのバランスに私自身も非常に悩まされました。

その答えが<白龍⇒白兎⇒トキ⇒金>の流れで示されたことは、驚きです。

そして、大日如来という神が、男性でも女性でもなかったという事実を知って、さらに驚きました。

而二不二(ににふに)のページにも書かれているように、紙には、表と裏があってこそ紙であるわけであって、どちらか一方ではない、ということ。これが大日如来という神(紙)なのです。


不二理論確立の過程で重要な役割を果たした人物にwikipedia:聖宝がいます。

天智天皇の6世孫にあたるようですが、金胎不二の思想は日本独自のアニミズムに基づくものなので、葛城氏の出自をもう一度、トレースし直さないといけないと思いました。


ということはですね、水を祀ったwikipedia:元正天皇の時代に大日如来は金胎不二の象徴であるという認識はあったはずで、秦澄に白山を開山させると同時にどこかに太陽神も祀ったはずですけど、その痕跡がありません。父親が草壁皇子であるから余計に何か怪しいです。草壁はつまり日下部ですから太陽信仰の氏族ですから。。。

養老2年(718 )に元正天皇の大日堂再興すべしとの勅命により、都から名僧行基が遣わされ再建されることになった。
大日堂舞楽

かなり広い範囲でオオヒルメの信仰というのが定着していたようです。今回の地震で被害がなかったか心配です。

ちなみに六甲山に広く分布する大日(オオヒルメ)信仰は、この頃のものです。

ひとつキーワードになりそうなのが、元正天皇のブレーンであった藤原不比等が691年に近江のwikipedia:日牟禮八幡宮に行って



「天降りの 神の誕生の八幡かも ひむれの杜に なびく白雲」



という歌を詠んでいることです。



ちなみに先日、元正天皇にご挨拶をしてきました。

この地を行幸した元正天皇は『醴泉は、美泉なり。もって老を養うべし。蓋し水の精なればなり。天下に大赦して、霊亀三年を改め養老元年と成すべし』との詔を出し「養老」に改元した。wikipedia:養老の滝

養老元号の由来ともなった菊水霊泉です。



とは言いましても、かなり寂れた感じで、水の精が泣いているようでした。日本人は戦後67年の間に水ではなく、原子力を拝むようになったので。。。

菊も水も清浄さの放射を表します。



今、青龍のイメージが強烈に浮かんでいて、先日、美濃に行くときも多賀大社の神山とも目される青龍山にいつか登らなければと思ったところでした。

高速からちらっと見えるんですよ!胡宮神社と青龍山が。。。

2年ほど前に胡宮神社には参拝しましたが、時間の関係で青龍山の頂上の磐座へは行けなかったんです。


青龍といっても日本人の信号機の法則で、青ではないですよ。信号機のように緑とも青ともとれる微妙な色です(笑)


その青龍が何をしようとしているかといえば、東洋と西洋の金胎不二。

東洋の理と西洋の智の大同団結。現代的にもっとわかりやすく言えば、東洋の情と西洋の理の統合。

男性性と女性性の統合でもあります。

つまり火と水の大統合でもあります。


青龍、それは、つまり、清流であり、盛隆でもあります。


日本では、古今東西という言い方をします。これは全ての方角と全ての時間という意味でしょう。

古今をココンと呼んだりコキンと読んだりします。コンとキンの両方につながるのは狐ですよね。つまりお稲荷さん。

それは、稲でもあるので金でもあります。全てはつながっています。すごいですね、日本という国の哲学性は。。。

古今東西山手線ゲームというのがありますが(笑)、この円環の思想も独特ですよね。88ですね。山手線という円環、つまり、【丸】自体が時間を超越しますので、【金】ということなんですね。


だからこそ大日如来。大日とは大きな丸という意味です。現代風に言えば、巨大な山手線ということです。

私たち日本人の中には、今でも男性性と女性性が統合された時代の記憶が留められています。

それを今、世界のために!


とういうか、日本が今、危機だから、まず日本のために!



余談ですが、さいたまの浦和のwikipedia:調神社には、兎が祀られています。それは、ツキと月が同じ音だから、だそうです。昔から日本人のコジツケは凄いです!

ツキ神社はツキを尽きさせないために拝む神社だそうですが、そのために月を拝むというのは、日本の言霊の力は凄いです。

ただ、それがコジツケだけでなく当たっているところが凄いです。憑き物とは言いますが、私の場合は、満月の時に出て行きます。憑きと月は関係しています。これと同様におそらくツキと月も関係しているんでしょうね。

ちなみに尽きるというのも月がなくなる(新月)ことを意味しているんでしょうね。

こんなこと書いていますが、ツキ神社はものすごく由緒正しいんですよ。倭姫が訪れているという伝承がありますから。。。

トキとまり コウあらわる

kohya_hibiki2011-03-24





我ら 霊の本(ヒノモト)の民 死して 尚 死せず

不死身(富士見)の翼は 椿と為り(鳴り)て

香しきニホヒ(匂い)は 天まで届く

アメノホヒ 香具山に降り立ち 日の本を加護(カグ)する

籠の中の鳥は 今ひとたび 

閃光となりて 闇夜を照らし

風となりて 芽吹きを息吹き  水となりて 心を洗う 





昨日からどんどん大きくなってきているのが、トキ(現在/過去/未来)の問題。

私は過去に戻って、祝島の問題にもう一度、皆で取り組まないといけないと思ってました。

あの時に、危険な原発を止められるだけの市民力があれば、今のような悲劇はなかったかもしれない。しかし、現実はそうではありませんでした。

福島原発事故発生後、祝島原発建設計画は山口県知事の申し出により一時中断となり、宮崎県串間市原発建設計画も中止となりました。


科学は想像力を遮断する。


事が起こってからでないと現実を認識できない人たちがたくさんいます。

古の神々は我々に試練を与えてくださっています。

想像力でクリエイトする社会、そして創造が現実をコントロールする社会へと舵を切らなければなりません。



私は時計のねじを巻いてくれたのだと思っていました。

しかし、先ほど20日・22日に出雲でのトキの産卵(47ニュース)のことを知り、過去に戻ったわけではなく、トキが止まる空白の時間に今、入っているのだと認識しました。

つまり、20日のエクストラスーパームーンの日に南海/東海/東南海連鎖地震は起こっていたのです。

それが現実に現象として表れなかったのは、トキが止まったからです。ですから地震は必ず起こります。それまで私たちが何をするかです。いつ、トキが元通りに動き始めるか今は、わかりません。

それをこれから調べにいきます。


一年前に書いた日ノ本国の記事がものすごく自分の中で立ち上がってきます。

全ては用意されていたものではないかとさえ疑ってしまいます。それではこの災害の残酷さはどう理解すればいいのか。。。そう思います。


地震予知の最新情報記事でも書いたように、2011年3月11日の『11』は十一面観音を表すことはもちろんのこと、門も表しますので、封印された音を闇を切り咲いて出していく必要があるでしょう。


そして、日ノ本国の記事にも書いたように11を漢数字に直すと、『土』になります。生命は土から始まり土に還ります。これは破壊と再生の神の特徴です。


また偶然にも日本の地名に土岐(トキ)があります。

岐はフナド/クナトの神(サルタヒコ・道祖神)なので、土岐は土の分かれ道という意味になります。

つまり、日本語の『土』という文字は、生命が生まれては死んでいくというトキを司り、土から生まれ土に還るという破壊と再生を司り、闇を切り裂いて音が鳴り始めるという音の発生と消滅の現象界の究極的なトキを司っているのです。


何回も書いておりますが、日ノ本国最大の信仰は、ヒンドゥーにつながる【無音】【有音】の哲学です。それが銅鐸を巨大化せしめた理由です。


またギリシャ神話におけるwikipedia:ホーライ(蓬莱)が時間の三女神を表しているのにも注目です。

多度大社でラグナロク(この世の終わり)の前に吹かれるギャラルホルンを楠(クロス)の根元で昨年8月に発見しましたが、多度と熱田の結びつきは非常に濃いです。熱田神宮の蓬莱は有名です。


以前にも書きましたが、時間と剣は非常に密接な関係があります。九十九に一を足すと百になり桃になります。これは時間をひとつ進めるというメタファです。

しかし、百になりますと同時に衰退をも意味しますので、古の日本人は九十九(つくも)を信仰していたのだと思います。

そこに新たに入ってきた11の哲学。それは新しい始まりを意味する時間の哲学の最高神でした。

我々日本人は、必死になって土偶を作り、埴輪を並べました。

土には新たな始まりのパワーがあると考えていたからです。


古来の九十九の哲学、そして新たに入ってきた十一の哲学、これを足すと110になります。

実は、古の日本では、王の中の王は『111』で表されました。つまり【川】

その別名は【皇】です。

ちなみに木曽川長良川揖斐川は南に向かって川の字になっています。多度大社の古い信仰はこれではないかと訪問した時に感じました。




白は九十九に分解され、王は十二に分解されるのです。

もう勘が良い方はおわかりだと思いますが、『王』は、『土』に一本線を加えたものです。

つまり、土(トキ)を司るものが最後の剣を持っているということです。

皇が治める地をカウチ/カフチと呼びました。水神の都です。

ほとんどの場合、河内と書きます。

なぜ私が、土佐(カウチ)と美濃(土岐)、そして尾張草薙剣はオロチの尾を割って出てきました)のことをしつこく書いているのかを今ならおわかり頂けるかと思います。

賀茂氏の信仰と深く関わっています。高知県南西部には白皇神社という神社が多く分布しています。秦王国の痕跡を留めていると思います。

しかし、また皇(女神)は、幽界へと姿を消すかもしれません。


近代的天皇制は、この「皇」を巡る動きを外して考えることはできません。つまり、賀茂氏がなぜ歴史の表舞台から姿を消していったのカモ、これを知れば明らかになります。

神は、「ネが申す」と書きます。これは明らかに、はじめに言葉ありきの哲学です。ネとは子丑寅のネであり、始まりという意味です。

皇は、「王より高きところで白しめす」と書きます。少し前にも書きましたがハツクニシラスもこの考え方からきています。つまり剣を持った土(トキ)を司る王よりもさらに上に白き女神がいらっしゃるということではないかと思います。

これも前にも書きましたが、この「白」は、白る(知る)という意味です。


神と皇の哲学とは少し違います。しかし2つともコウと読みます。そういう言葉の不思議は無数にあります。


私たちの国には、たくさんの信仰が様々な土地から入ってきて、それが根付きました。それらを否定することはできません。

日本のそれぞれの地域を認め、世界のそれぞれの地域を認める。それが今回の地震原発事故で浮かび上がってきているテーマのように思います。


私は日本の中央部とも言われる美濃あたりにwikipedia:両面宿儺の信仰が残っているのはwikipedia:ヤヌスと関係があるのではないかと思っています。

ヤヌスは、ローマ神話の出入り口と扉の神です。英語でJanuaryの語源(ヤーヌスの月)になっており、つまり始まりをも意味しているのです。

西では噴火【火】が起こり、東では津波【水】が発生しました。これ、本来は逆ではないのかな?と思います。

それをあらわすように太陽信仰が強い土地、茨城県大洗には津波発生後に渦潮(アワ/太陽)ができました。

その後、原発【火】が暴走しました。

火と水のバランスが崩れ、東北は数メートル東に移動したようです。

暴走を止め、火と水のバランスを整えるために土岐へ向かわなければならないと思います。

そして美しい筑波嶺の二峰のように男体山と女体山が並び和合することを願います。


トキが止まったのは、何かが生まれたから?。。。

父・母・子 三位一体



原文 トキとまり コウあらわる
出典元 Lemurian resonance

カイラス山のピュアリティリング

kohya_hibiki2011-02-21



Selena Gomez & The Scene で 『 Naturally 』です。

発音にすごく惹かれます。She is a timeless beauty と書き込みしている方がいて、まさにその通りだなと笑ってしまいました。

映像も格好も楽曲も、いつの時代のものなの、というくらい古い感じがするんですけど timeless beauty なんですよね。。。

セレナは、テハーノ歌手女王セレナにちなんでつけられたようです。

お父さんがメキシコ系アメリカ人ですし、彼女もテキサスで産まれたようなのでテハーノのアイデンティティがあるのは自然な流れですよね^^


女王セレナは銃撃されて亡くなられていますので、表現者の道は必ずしも平坦ではないということです。

2pac もそうですし、アイリッシュダンスもそうですし、イスラム文明圏では今でも顔を出して歌って踊ることが社会的に批判の対象になります。

これを単に<表現の自由=善>というような公式だけで捉えるのではなく、どうすれば表現の抑圧を改善していくことができるのかをひとつひとつ考え、対応していく必要があると思います。


その出発点として表現の自由がある程度保障されている日本国で、自分の”表現の自由権”に感謝し、表現したくてもできない国内外の人たち(故人も含めて)のために代弁してあげることが重要だと思うんですね。


リビアではジェノサイドが発生している最中でもあるので、ひとりひとりが何ができるかを考え、行動する必要があるのではないかと思います。


少なくとも私たちの祖父の時代は西洋人の支配/搾取/攻撃/嘲笑からアジアの人たちを守ろうとしました。


Selena Gomez & The Scene で 『 A Year Without Rain 』


PVの紹介だけで終わるつもりでしたが、上のPVを観てる時に〜カイラス山〜というメッセージが来たのでアセンションレポートに、移行させて頂きます。

wikipedia:カイラス山は、チベット仏教で須弥山、ボン教でアシュタバダ(Ashtapada)とみなされるようですので、かなり核心のような気がします。

ミセンのことは最近書いてますし、アミタバのことも2年ほど前から追い続けてきています。

今月末に初来日するらしいのですが、彼女はエリーゼ宮(夕日大神)のインスピレーションを日本人にもたらすのではないかと感じています。

名前のセレナは純潔を表しますし、彼女自身、12歳の時からピュリティリング(純潔の指輪)を着けているようです。

この流れは、彼女自身の意志を超えている世界的な流れではないかと思います。

彼女の歌を聴いているとフェニキアの魂が蘇って来るのですが、彼女のお母さんがイタリア系アメリカ人なのでひょっとするとフェニキア系かもしれません。

処女宮アテネを祀ってい、、、今、わかりました。

前々回の記事で書いたwikipedia:雨水対極のサインwikipedia:処女宮アテネとはこのことだったんですね。。。

ヴィーナストランジットwikipedia:金星の日面通過ですね、確かに。

今度のビーナストランジットの始まりはアメリカからのようです。そしてその日は2012年6月6日です。

昨晩ちょうどサクヤ姫の真実がわかりましたので、今日<日はまた昇るフェニキアフェニックス」>の記事を書こうとしていたんですが、日ノ本国(地球)と太陽(タケル/サルタヒコ)の間をビーナスがトランジットしてきました。

そのビーナスのコードネームが『 66 Stop Stop (オリツセオリツ) 』

つまり、”やめてやめて、けんかはやめて!ヒは火ではなく氷なのよ”、と。

金星の日面通過は稀な現象であることから、人間の歴史の大きな転換を表す重要な現象だと世界の様々な文化で考えられてきた。これはマヤ文明やその他の古代アメリカ文明について、またインドのヴェーダ伝承やメソポタミアの西洋占星学の起源についての事実である。
wikipedia:金星の日面通過


と、書き終わった瞬間に地震がきましたので少しビックリしました。

心の中の国譲り

kohya_hibiki2011-02-10



ラグナロクのロクはwikipedia:ロキ。つまり、終わり(Stop)を意味する。

ラグナロクは”光の宮の終わり”の意→つまり混沌の時代

ロキという名の正体(無限空間)

それは6も意味しており、凪をも意味している。
つまり日本では倭国大乱(ラグナロク)が6(六甲/武庫)でストップしクニ(6合/東西南北天地)ができた。
その後、クニ譲りが行われた。それが「譲る/揺する」のユスルハ岳(六甲山の別名または淡路島の最高峰)

そして、6(Stop)を裏返した9は始まり(Go)を意味する。6と9で”Stop and Go”

つまりククリ(ヘイムダル)でGoが始まる。北欧神話においてはロキ(6)とヘイムダル(9)は相打ちでアザラシになっている。

伊勢沖の神島にはアザラシがよく見られるそう。セーマンドーマンのドーマンは9でカゴメ

クニ(六合)を安定させるためには、ヘイムダル(9)を出さないほうが良い。

しかし、アマテラスはムカツヒメ。ムカツ(向津)は武庫津(廣田)に他ならない。wikipedia:吉田東伍/大日本地名辞典


国底立は動いています。


神呪寺(かんのうじ)の語源は、神の尾(カンノオ)。カンとはつまり六甲山。尾はスサノオ。オロチの尾から出てきたのは草薙剣


六甲=六光=瀬織津姫の凪の側面=アマテラス

井戸に載せられた6角形の亀石は瀬織津姫のswift(迅速さ/波)封じ、つまり太陽信仰

亀は噛む。吊る(鶴)の反意語


swift(迅速さ)が止めばムカツヒメは現れる。つまりそれが6。それが斎宮であり斎王。そしてそれが西の宮wikipedia:エリーゼ宮

栗(クリ)は、西の木とされている。それが白い木。そこにヘイムダルの宮を作り暮らす。

漢字が「西」と「木」の組み合わせであることから西方浄土になぞらえて位牌などの仏具に使用されることも多い。
wikipedia:クリ属

wikipedia:西方浄土とは、幸福のあるところ。

私が最初に読んだ哲学書=幸福論

2年前から夢を何度も夢を見せられた無量光寿は西方浄土の神

私が追ってきた鴨ピラミッドはコウ、そしてフクは吹くの風神

そして、西宮は斎宮

六甲山神社(むこやまじんじゃ)からは、はるか白山が望めます。

伊勢神宮荒祭宮は西北方向を向いています。

倭姫命世記には荒祭宮の祭神は瀬織津姫と明記されています。

西宮の守護・廣田神社の祭神は伊勢の荒祭宮です。廣田社殿は伊勢社殿を貰い受けています。



心が荒ぶるのも譲れない/譲らないことから起こることが多い。

心の中のクニ(六合)とは、つまり6(瀬織津姫/ロキ)に自らを譲ることであり、そこにwikipedia:ヒメユズルハを咲かせることでもある。

9(ククリ姫/ヘイムダル)の迅速さを手にいれたとしても、それを常に6で打ち消し、アザラシ(テキトー)にならないといけないのである。


それがゲーター祭のアワか。阿波はこうして幽世へと姿を消したのです。


白山動力源の話はこれである程度、隠喩的に証明されましたが、国底立が何を意図しているのかを掴みかねます。もう少し追ってみます。

サクヤ姫の『水』と『油』


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スピードがないスローなバラードですけど完全R&Bで心地いいですね。
スピードの中ではベスト3に入るのではないでしょうか。名曲です。PVの質感も最高!!全然時代性を感じさせません。普遍的です^^

不易流行で言えば、不易の部類に入りますね、そういうのが大好きです。


『火』の男性原理が癒されます。癒されるというか『水』と調和するといったほうが正確かもしれません。

セオリツ宿ってますね!水の言霊を持ってる歌。



『火』は常に『水』を求めて、『水』は常に『火』を求めています。


その2つの元素が完全に打ち消し合ったときに、『空』(悟り)ができます。

そしてそこに『風』(息吹/神風/ルーアハ)が吹きます。


古今東西、”悟り”にはこのような経路/構造があったと思うのですが、野蛮・無明というレッテルを貼られ忘れ去られたようです。


ギリシャ神話では、大地の女神がガイア、天空神がウラノスであるように男女同権/火水同等が古代の常識であり、男性上位というのは本当に最近の話しになります。

”燃”は、自然のものに火がつくと書くから、自然のものはほとんど燃えるということですよね。

だけど液体は燃やすことはできない。それが『水』なのではないでしょうか。

だから、その『水』にいくら男性原理の『火』(怒り)を持ち込んでも決して燃えない。なぜなら流されるから。そもそも火をつけることができない。それがアメでありアマ。

これが中瀬のセオリツの本質的テーマですよね。


同じ液体でも『油』は『火』の効能をさらに引き出します。

女性原理が、この『油』になっている場合は大変です。wikipedia:コノハナノサクヤビメは本来、水神なんですが、ニニギの男性原理に『油』を注いで産屋に火を放っています。

何度も書いてますが、ニニギは拳を握るの神格化であり、男性原理である”力への意志”をあらわしています。女性原理がその”力への意志”に同調してしまうと、その女性原理は『油』になります。

つまり、女性が地位や名誉や経済的成功に固執しすぎると『水』が『油』になります。水と油は見た目がほとんど同じだから自分でもほとんど気付かないから大変です。

芸能人は離婚を繰り返して幸福をつかもうとしますが、『火』に『油』を注ぐことが産屋を燃やしていることに気付かない場合も多々あるようです。

心の平安や安寧、世界平和は、とどのつまり、火と水の調和であります。だけど良く勘違いされるのが『水』(愛や優しさ)だけがそれらを導くという考え方。

”流れる”には枯れるという語が隠れています。つまり流れは無限ではないということを意味しているんです。つまりその無限性を生むのが『火』(怒り/原動力)なんですね。水が何によって生まれるかと言えば、火(日)が水を蒸発させることによって雲ができてそれが雨になって地上に降り注ぎます。

このメグリを特に”ムスヒ(結び)”と呼びました。(火と水が調和してますよね)

男性原理である『火』が、女性原理である水面を照らし水は巡る。どちらか一方が正しいわけでも優れているわけでもありません。両方が必要ですし両方が尊重される必要があります。日本神話はそういう風に書かれています。

男性と肩を並べたいとか上回りたいとか優位に立ちたいとか、そういうことを考えた瞬間に既にそこには”ムスヒ(結び)”の糸はなく『油』しか残りません。『油』は、なかなか乾かないので潤っているように感じますが、実は潤っているのではなく乾かないだけなので、ある種まやかしになります。

肌の新陳代謝をあげるのは化粧水(油)ではなくて、単純で清浄な水になります。


話を元に戻しますと、海底火山が噴火して島ができるとします。この場合、『火』(怒り)が噴出して『水』によってすぐに冷却される。そのパーセンテージが最高の状態と考えられたから、古代大和で島は信仰されたんですね。

そもそも日本列島は水に囲まれた島国でありますから、母系社会なんですね。

だけど戦後、ジェンダーフリーなんていうものが流入してきて、変質的な被害者意識が蔓延して、日本社会の女性原理が『水』から『油』に変わってるんですね。少子化にはこういう理由があります。

男性原理『火』は本能的に『油』を禁忌しますから、マッチングもなかなか進まなくなります。


なんとかしないといけないと思います。

この『水』と『油』の神話というのをもっと掘り下げないといけないかもです。

これからのテーマかもしれないですね。

書いてなかったですけど、火と水の統合の湯の項がある程度終わって、湯の中から剣(象徴としての)が出てくるイメージをもらってたから、それにたぶん『油』を塗るんでしょうね(笑)

でも普通、刀には油塗りませんよね^^;白いパフパフみたいなやつを塗ってるから、、、

多分なんかあると思います。刀とか剣に『油』(ガマ油みたいな)を塗る神事みたいなものが。探してみます。
たぶんサクヤ姫と関わっていると思います。



出典元 サクヤ姫の『水』と『油』(Lemurian resonance)