ピンチはチャンス 〜 昆虫の変態からスピリチュアル 〜

kohya_hibiki2012-06-23



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なかなか変容が進まない方の特徴に”チャンス”を”ピンチ”と思い込んでしまう思考パターンがあります。

変容というものを深く考えた場合、それは昆虫のwikipedia:変態とも呼べるもので、生物学的に見ましても変容の前にはピンチが訪れます。

ピンチをチャンスに変えたものだけが生き残ってきたわけであり、ピンチをピンチと認識して逃げてしまうのは遺伝子的に見て非常に弱い遺伝子パターンです。

このような考え方は、子供の頃、自然と触れ合い生き物と戯れるだけで身につくものです。

しかしながら、変化を望まない公務員的な発想の人たちが社会の深部にまで入り込み、利権にしがみつき、生物学的なインスピレーションを与えてくれる自然と次々と破壊しているのです。


これは言葉ではなかなかわかり難いものです。二者択一の選択肢が訪れた時、苦しいほうを選ぶというのは思考ではなく感覚です。

この感覚がない方は、思考で埋め合わせていかなくてはなりません。


スピリチュアル・グロース(精神的成長)というのはこういうことであり、霊能力を誇示するためのものではありません。

日常に転がっている森羅万象の中に神は存在するわけであり、我々のDNAには、ピンチをチャンスに代えて乗り越えてきた遺伝子がひとりひとりに備わっているのです。

私にはできないとか自信がない、、、とかいうのは昆虫に対して失礼だと私は思います。

小さな身体で命をかけてピンチをチャンスに代えて一生懸命に生きる昆虫たち。。

余りある能をもって生まれながら、十全に使おうとしない人間たち。。

神に祈りを捧げ、日々、社会に尽くすというのであれば、自分に与えてもらった五臓六腑にまず感謝しなければいけません。

それができれば、何も怖れることはありません。ほとんどの出来事がとるに足らない出来事です。


人目をはばからず、昆虫のように変態していく。。

昆虫同士、いちいち他の変態ぶりを指摘していたら時間がいくらあっても足りません。人間も同じこと。

自分に与えられた輝きを与えられた命の中で全うする。ただそれだけでよいのです。



生物学的に見た遺伝子的強さとは特に男性性に求められるものでもあります。

女性が男性を選ぶ際には、自分の中のwikipedia:アニマ・アニムスを投影する場合も多く、自分の中の押し込めた男性性がそのような選択をさせていることも多いです。

そのような内側のスピリチュアリティを客観視しながら、競合を楽しみ、光りと影を楽しむ、というような形式が最も美しくクールであると思います。そしてインテリジェンス。。


大局的な視座を持ち、ミクロで生きていく。

八百万の神々の世界は果てしなく広大です。





失われた“健全な”という精神

kohya_hibiki2012-06-20



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戦いは楽しむものであり、囚われるものではありません。これは怒りや悲しみの感情についても同じです。ひとつひとつの【戦い・争い】に固執する人は戦いの絶対数が少ないか徹底的に負かされた体験がない、かのどちらかです。

スポーツでの戦いは、負ければ負けを認めざるを得ません。しかし、スポーツ選手は戦いに固執しているわけではありません。一流になればなるほど戦いを客観視し、自分を冷静に分析する論理的思考を手に入れます。つまり、【戦い・争い】の勝敗に自分のアイデンティティーを置かないということなのです。

愛が充分に満たされていなければ、戦いの“勝ち”の結果に自分のアイデンティティーを重ねることによって癒されようとします。つまり、勝てなかった今までの自分を勝敗の結果によって埋め合わせるということです。しかし、この段階では如何なるスポーツにおいても良好な結果を残すことは出来ません。

如何なる状況においても勝ち続ける人間は、究極的には結果にこだわってはいません。結果を出す前までの自分の精神性にこだわります。勝敗は勝負の前に決まっています。

このレベルの問題は“スピリチュアル”というよりは“スポーツ”レベルの問題です。

“スピリチュアル”はもっと高い意識の中にありますので、ここで書いていることの意味がわからない方は、家に閉じこもってパソコンスピリチュアルをやるよりも外でまず身体を動かして普通、一般の社会の中で結果を出すべきです。スピリチュアル業界は、資本主義社会で適応できなかった落ちこぼれが来るところではなく、資本主義社会を現実的に論理的にアセンションさせていく人たちが集う場所です。と同時に資本主義社会で傷ついた人たちが癒される場でもあります。

資本主義社会でオカルト視された霊能力者たち、資本主義社会で地位・名誉を獲得できなかった者たちが敗者復活戦をする場でもありません。



外国の人と渡り合う時、どうしても問題になってくるのは“信仰”というメンタルな問題です。

日本人以外の民族は全て、自分の国と民族に誇りを持っていますから、普通に“健全な”精神が宿っています。

そこで初めて日本人が異常な状態にあることに気付きます。日本の常識は世界の非常識と言われる所以はここにあります。


精神異常者が精神病を撒き散らして精神病予備軍がそれを積極的に支持するというのがどの業界にも当てはまる日本の現状です。

これを変革するのが“スピリチュアル”であったはずですが今やどの業界よりも酷い精神病患者がメディアを利用した仮想トップに居座り、奇天烈な理論を垂れ流しているというのが現状になります。

私と関わっている人や東京の人たちはそのようなマジックには当然、引っ掛からないですが、地方ではメディア先行で自分の思考パターンを構築している人が圧倒的に多いので、ビックリするほど、まんまと“プロパガンダ”の罠にはまっています。

一般的にメディアで名前が売れている人は“真実”ではなく“汚いことをやっている人”というのが常識です。

名前を売るためには、名前を売る手法があり、その手法自体が“真実”とはかけ離れています。これは普通に考えれば0,5秒で答えが出ることです。真実の人が支持される社会ならばこのような社会にはなっていないですよね。

社会がおかしいのは、皆がプロパガンダを悪用した間違った人を支持しているからです。これも0,5秒で答えが出ることです。

この0,5秒で答えが出ることに対して、問題提議さえしないのが日本社会の現状なのです。

そのために10年以上前からスピリチュアリティ形而上学)をやっていますが地方ではまだ全然根付いていません。

10年前に東京でやっていたことをもう一度、関西でやっているような状況です。本当に骨の折れる作業です。

周りには東京で増殖したおかしなスピリチュアルを本当のスピリチュアルと信じて撒き散らしているセラピストもいます。


女神性とは自分が女神になることではなく、寛容さと受容性を高めることです。このメタフィジカル的な当然の帰結も、おかしな人たちが身勝手解釈をしますと【自分の解放=女神性】というふうになります。3,4年前は【自分の解放=ノンジャッジメント=何でもOK!(人権蹂躙もOK)】、6,7年前は【自分の解放=封印解除=アトランティス】、、、問題の根底は同じです。

そのような女神性を男子が支持するはずもないでしょう。女神性とは神功皇后光明皇后のように争いの時代においても男子の戦いの論理に勝っていく強烈な受容性にあります。”赦し”とは自分が赦されることではなく、インナーチャイルドを癒し、自分とは全く異なる正反対の意見者を赦すことなのです。これは民主主義の基本にもなります。

【戦い・争い】を否定する精神性、ジャッジメントを否定する精神性には女神性は宿りません。ましてやそこにシャーマニズムなども宿るわけがありません。

真の女神性とは巴御前細川ガラシャのように男性論理を受容し、さらにそれを超越するものです。

それが戦前までの日本女性の一般的な精神性であったということを知ることだけで何かが変わるでしょう。

ジャッジメントしない”という理論は、ジャッジされたくない人が編み出した商法です。健全な営業をやっているかどうかをジャッジするのは基本的人権と呼べるものです。その思考回路を奪うことが如何に違法で巧妙なトリックであるかがわかります。


偏見と思い込み、無知とは本当に恐ろしいものです。インターネットで仕入れた情報で自分にもできるだろうと身勝手に判断してしまう“安易さ”、本質を理解せずにこんなものだろうと誤解釈する“軽率さ”、そこに美的精神を見いだすことはできません。


自らの”自由”が認められるためには、正しい社会性を帯びた”自立性と責任”が伴わなければなりません。これがなければ目に見えない”スピリチュアリティ”は新たな社会問題や以前よりも悪い状況を生み出しかねないものです。


知らないことは知らないと言い、できないことはできないと認め、及ばないことには及ばないと宣言する、そんな普通のことができなくなった裏側には、アイデンティティー喪失の裏で“負けを認めたくない”精神が発達し過ぎたことがあげられます。


“負けるが勝ち”の日本の伝統的精神が育った背景には、負けても受け容れてくれた家庭・地域社会という隠喩があります。そこが”母性”であり、”女神性”でもあります。如何に逆説的な現実が日々創出されているか、この文章を読んで頂ければおわかりになるかと思います。

負けても受け容れてくれる母系社会を再生するのが“スピリチュアル”の役目であるはずですが、いつまで低い現実の中で彷徨っているのでしょうか。

高い理想に共鳴することは今日からでもできます。“負け”を認め、自分の正確な位置を客観視すれば良いのです。

とことん負けてとことん思い知る。後は上がるだけです。それがどうしてもできない人は、スピリチュアルというよりはまずスポーツをすべきでしょう。小学生でも感得できる精神性です。



地位と名誉に固執する人の言葉の端々には地位から転落したくないという“怖れ”が漂っています。

全てを捨て去った人はその“怖れ”を見抜くことができます。




真実の日本社会へ


そして、正しき正道の未来へ



HMTテンプルマスター養成講座

kohya_hibiki2012-06-18



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江戸時代末期まで日本人のbelong(帰属意識)は、産土神もしくはお上(将軍・天皇)でした。それが明治時代になって強制的に国家神道につけかえられ、戦後は“カイシャ”につけかえられました。


明治時代以後の私たちのアイデンティティーは常に権力からお膳立てされたものであり、人工的に創られたものでもあります。

その結果、私たちの感情体は様々なレベルをさ迷い、コントロールできなくなることもしばしば。本当の意味で信頼し、身を委ねる場を持っている人は少ないでしょう。

理想の家族像は完全に崩壊し、普通に働いていても子供を産めない社会となりました。普通に生活をしていたとしても冤罪や原発被害に遭い、国家権力に基本的人権を蹂躙されかねない社会状況でもあります。


それを元の自然な形に戻そう!というのがHMT巡礼のひとつの目的でもあります。

“スピリチュアル”とは我々新しい世代の新たな帰属意識の創出であり、【国家神道・カイシャ】を唯一神化し、マインドコントロールされた明治大正昭和時代へのロンギヌスの槍でもあるのです。


この流れを否定する者、悪用し地位と名誉を得ようとする自称霊能者たち、その両方が新興宗教にはまった迷える子羊と言えるでしょう。


我々がなすべきことは、否定でも肯定でもなく、高い理想を持って、それを公に宣言し、それに向かって日々行動することだけです。


高い国家ヴィジョン、社会問題解決につながる社会活動、新しい感覚に基づく文化発信、そのいずれが欠けても変革を成し遂げることは出来ません。


行動を決定するのは意識です。意識が高まれば行動の質も高まります。誰かを受容できない自分に固執するよりも、受容できる仲間と共に多くのものを創造していく。時間はあらゆる人にとって同じですが、遣い方は千差万別です。その差は能力によって生じるのではなく、意識によってもたらされます。


表現できないと悩むよりも、表現してみて恥ずかしいと思い、恐れた自分を実証する方が明日の輝かしい未来を手に入れることができます。考えていても仕方のないことはたくさんあります。そのほとんどが妄想です。妄想をするならばもっと大きな妄想を皆と共に致しましょう。



Healing Master Templeにはその全てがあります。


HMTテンプルマスター養成講座では、上記のような次世代ソーシャルスピリチュアルリーダーを募集しています。


政治・経済かそれともスピリチュアルかという二者択一ではだめなのです。


戦前以前の日本でも古代ギリシャでも政治と霊性は常に一体化していました。

霊と聞いて霊能力をイメージする一部日本人の意識レベルはとてつもなく低いです。


そのような意識レベルの低いディセンションした人たちをアセンションさせるのも当ブログを読んでくださっている方たちのお役目でもあります。


何か物足りない生活、もっと愛されたい日常、輝きたい自分の未来。


浄土を手に入れることは誰にとっても願いです。


しかしもっと愛されるためには、人には出せない輝きを放たなければなりません。愛することは浄土ですが愛されることは競争なのです。

女性は男性に選んでもらうために美しくあり続けなければならないですし、男性は女性に選んでもらうために強くあり続けなければなりません。その枠を取り払うこともスピリチュアルですが、この本質を認識し続けることもスピリチュアルです。


競争を否定する人は愛に飢えています。受胎とは何億もの精子が激しい競争を繰り広げ、勝ち抜いたたったひとつの存在が対極の存在と結合することです。

愛の結果が目に見える形で現れるためには激しい競争を耐えぬいていかなければならないのです。

ただ人間は共に戦っていける仲間を持つことができます。他の誰かと戦うのではなく自分自身との永遠の戦いのためにです。

命の輝きと真実の言葉は戦いの中にこそ生まれます。自分のアイデンティティーのありかに悩み、自分のオリジナルの才能に気付く瞬間、それに立ち会うのは人間に生まれて良かったなと感じる唯一の瞬間です。

受胎告知とは争わないための装置だったのかもしれません。永遠の唯一神を創造することによって古代ローマを安定させていく。

政治と宗教は常にひとつです。

宗教的なものを嫌うという戦後の傾向も新興宗教のひとつです。その裏には拝金主義という唯一神の存在があります。このようなことを簡単に判断することができない人達が数多く存在するというのも大きな社会問題であり、様々な問題を助長する根源的要因ともなっています。



目標を見失い、互いの傷をなめあう集団よりも

高い目標を持ち、互いに励まし合い、互いに研鑽しあえる集団を目指しましょう。



違うからこそ認め合える、違うからこそ話し合える、違うからこそ研鑽できる。

頑張らなくてもいい、ただ磨くだけ。枠を外して転がっていけば良いのです。


A rolling stone gathers no moss



ケルティック・パスト

kohya_hibiki2012-06-14



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Celtic Past(ケルティック・パスト) は、ケルト限定過去世退行個人セッションです。


ケルトが大好きな方はもちろんのこと、全く興味がない方、つながりの自信がない方など、どのような状況でも大丈夫ですのでお気軽にご連絡くださいませ。


現在の状況として、ケルトの流れが強く出てきていて、これまでの個人セッションでも歴史書では知りえないようなことがわかってきています。

ケルト文化と日本文化は深い相関関係にあり、ケルト文化を知ることによって失われた日本の古代を知ることができます。


また、それぞれの過去世をつなぐことによって、ユーラシア全体と日本の関係も見えてきており、現在の大地の動きとも完全にシンクロしています。

現在の動きと言いますのは、日本の古代においてとても重要な地位を占めていただろうと推測される日本のケルト時代(巨石と草の時代)の記憶が”シャーマンの要素を持つ方々”の中から次々と湧き上がってきています。

それが何を意味するものかと言えば”東と西の融合”になります。

これが今、女神ガイアから発せられている最も根本的なシャーマニズム・ヴォイスになります。

この高いスピリチュアル・ソフィア(哲学的理解)を言語に落とすことができない方々は、ドルイド(日本ではサニハ)パートナーを失っており、月の明かりを真の光りに昇華させられないジレンマと焦燥に捉われます。

内なる聖動をお持ちの方は、是非このケルティック・パストをご受講頂きまして、大地とのつながりを深めて頂きたいと思います。

本セッションの最も特徴的なことは、他の方との過去世とリンクすることでより一層、ご才能が開花していくということです。Past Vision(過去の記憶)が多く共有されることによってひとつの大陸が浮かび上がってきます。

その大陸がさらに皆の記憶を呼び覚まします。


それらの明確なヴィジョンとストーリー性の確保で高いシャーマニズムを手に入れることができます。


皆さまのご参加心からお待ちしております。




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蟹座の変容宮

kohya_hibiki2012-05-30



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不安や怖れ、満たされない何か、どうしようもない空虚感、を持たれる方も多いと思いますが、【Astrological KANI(蟹座の変容宮)】では、不安や怖れ、満たされない何かやどうしようもない空虚感を冷静に分析し、最終的にはその空虚感を楽しんでいこうというレベルにまで持っていきます。


まず、セッションを行い、その後は希望であればグループワークを選択できます。


不安や怖れ、空虚感が増大してきますと、誰かに何かを求め過ぎたり、通常は考えられない行動でその空虚を埋め合わせようとする場合もあります。


しかし、この不安や怖れ、空虚感には様々なレベルがあり、天体の動きや大地からのメッセージと呼応した結果、生み出されたものも少なくありません。



特に巫女的特質を持たれている方は、天体の動き(特に月)や大地からの哀しみの波動に無意識レベルで共鳴している場合が多く、どうしようもない深い哀しみにとらわれることがあります。

その他、時間の制約を超えて過去や未来からの哀しみにつながる場合もあります。

哀しみが不安や怖れを引き出し、その不安や怖れを客観視すればするほど空虚感が引き出されるというパターンも存在します。これは特に女性性にまつわる”水”エレメントの波動的特性でもあります。




上記のような深いパターンでの空虚感を身近な家族や友人による理解で埋め合わせようとしますと、事態がより一層、悪化してしまいます。


つまり、たとえ家族や仲の良い友人であっても巫女的特質を共有していなければその深い哀しみを理解することができないのです。

さらに言いますと巫女的特質を持っている方が、自分の感情の揺れを自分個人のものだけだと認識している場合、激しい自己否定に陥るパターンが多くあります。

この状況に対するひとつの解は、哀しみの出元を切り分け、その意味を正確に捉えることです。



さらにもうひとつの解は、天体や大地の動きに呼応して感情体に働きかけるタイミングが限りなく同じ人を見つけ、その感情を共有することです。


この“タイミングが同じ”という部分が星座に関わっており、その知識を深め、自分自身をさらに知っていくというのもこのセッションの目的でございます。


ここでいう知識とは、”天と大地との呼応が自分自身の感情体にどのように働きかけているか”の知識であり、星座一般の知識はそれほど必要とはしません。星の本質と自分自身の魂の本質の関わりがとても大切であり、{動き}を捉えることが最も大切になります。

感情体のセッションではございますが、結果的にシャーマニズムが深まっていくセッションとなります。受信(巫女)体質と情緒不安定というのは、特に【月の運行】というキーワードでつながっています。

つまり、才能があればあるほど感情体が天体の動きに左右されているということです。


あるひとつの絵を見ても感情体が激しく動く方とそうでない方がいます。感受性が強いのは明らかに前者であり、変わっていることを自己否定するよりも感受性を伸ばす自己肯定が必要です。



現在募集を休止しておりますHMT遠隔マスターグレードですが、この蟹座の変容宮セッションをお受け頂いた方に限りご入校お受け付け致します。


遠隔マスターグレード、月二回のワークでかなりハイレベルなものになりつつあり、基本的事項をマスターした上でないと理解が困難でありますので、蟹座の変容宮セッションは理解の補助には最適であります。


希望や夢の喪失は様々なレベルにおけるエネルギーを奪いますので、ぜひこの蟹座の変容宮セッションで未来の方向性を獲得して頂ければと思います。



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濁さえ飲み込む女神性

kohya_hibiki2012-05-19



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朝から晩まで他者批判をしていた犬養毅内閣総理大臣にまで上り詰めたのは、当時の日本社会が清濁両方を許容する女神性を有していたからです。


戦後社会がそうであるように男系の社会は、自分に都合の良い清らかさだけを容認し、濁を排除します。


自分を客観的に見られない人々は清らかさを支持することが“清らかになる”ことだと勘違いしますが、もう少し上の視点て見れば、その清らかさが全く清らかではないことは明らかです。


最も神格の高い女神性が清濁や闇さえも許容するというのはすぐに理解できることだと思います。



世界的“ジンブツ”を多数輩出した戦前の日本。一方で世界的有名人を多数輩出しても“ジンブツ”を輩出できなくなった日本。


これを“有名無実”と言いますが、その有名無実の裏側には女神性の喪失があります。


その女神性喪失の裏側には、いつも言っておりますように哲学的本質を理解できない非常に低いメタフィジカル力という問題が横たわっているのです。


“強さ”は排除から始まるのではなく“受容”からはじまります。


それは自分の濁(闇)を認めるということです。自分の濁を認めるということは“自分が悪者になることも厭わない”、“悪人と罵られても動じない”ということです。


“悪(灰汁)”になっても動じないということは内側に“聖”があるのです。


覚者ではない善顔をしている人たちが“批判をしてはいけない”と言っているのは、批判されると動じてしまうからです。


動じてしまうのは内側に“不動の聖(不動明王)”がいないからです。



こういうことはスピリチュアリティの入り口(基礎中の基礎)ですが、それさえも認識できない方がたくさんいます。


なぜ私たちの先祖が不動明王を拝んでいたのかを理解できてないですし、理解しようともしていないのです。


それが“清らかさ”につながるはずもありません。先祖からの流れは水の流れと同じ。



聖人になるということは“濁”を持って“聖”に向かうということ。それは決して、当たり障りのない言葉だけを連ねて“聖”のふりをすることではありません。



ひとりひとりの真実を見極める素目に全てが委ねられています。

南宮アイアンハート

kohya_hibiki2012-05-18



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9・11から11年。ポスト9・11を作るためにジャパニーズスピリチュアルを立ち上げてきましたが、もうそろそろいいのかなと思っています。


決めるのは私ではなくて、みんなですし、理解できないことに怒ったり、批判したり、シカトさたり、盗用したり、そのような世界とは少し距離を置きたいと思っています。


そういう人たちを受容していないわけではないですが、単に美意識が違うだけです。


本来の自分、美しいものだけを追求するアーティストに戻りたいと思います*^^*


誰もが傷つかない言葉などありません。光であればあるほど闇を傷つけるし、闇であればあるほど光を傷つけます。2元は常に表裏一体。光だけが正しい、片方だけが正解と思っているうちは過去の傷に捉われているだけの状態になります。


体裁の良い言葉だけを信じたいという衝動は、自分が未だに自立できない享受者の立場から一歩も抜け出していないことを意味します。愛と言えば赦されるほう、光と言えば与えられるほう。そういう思考回路で存立している限りは、愛と光の本質にはいつまでもたどり着けないこととなります。


多段階の表層部分の真実を言いますと、何かを享受しようとしていること自体が闇になります。この闇を抜け出すためにすることはたったひとつ。何かに対抗しようとしている自分を捨て去ることです。対抗とは提供者が自分のセクションを守ろうとするときに使用すべきものであって、完全享受者が振り出す必要のないものです。


真実を言い当てられた場合、多段階の表層部分の人たちは決まりきってその真理に対抗しようとします。この対抗が無意味なものであることは覚者にしかわかりません。


その対抗を続けたからといって悟りが早急に開かれるわけでもありません。ほとんどの場合、それは無駄なエネルギー消費となります。自分の段階を知ること。そしてそれを素直に認めること。これだけが才能ある覚者予備軍の特徴です。



真の悟りとは聖書を必要としないニュートラルな段階のこと。美しい言葉も吐き出すし汚い言葉も吐き出す。

清濁併せ持つものこそ、涅槃の覚者。




別にブログをやめるわけじゃないし、巡礼をやめるわけでもありません。縁あって出会った人以外の人のために生きることをやめるだけです。


そういう意味でもアイアンハート。インナーチャイルドや不遇な境遇の方がいると助けたくなってしまいますが、これからは縁ある方だけにしたいと思います。


皆も頑張って!切り捨てるわけじゃないけど縁ある方々だけにパワーを注ぎます。


鉄は熱きうちにうて。固まってしまったらもう遅いですよ。


誰が本気で社会のことを考え日々行動しているのかは、自分自身がそういう境地に立った時に初めて見えてきます。

その地道なひとりひとりの作業によってしか社会は変わりません。

社会がよりよき方向に向かうことを願って。


南宮アイアンハート




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